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2017.07.20 NEW 境界線の超えかた

世界的ダンサー、ケント・モリが語る―
夢を追い、叶えるために必要だったもの

世間の常識に惑わされることなく、「心の導き」に従って生きる。それが、世界最高峰の舞台で活躍するダンスアーティスト、ケント・モリの流儀。

ケント・モリはマドンナやマイケル・ジャクソンなど、世界の名だたるトップアーティストにプロダンサーとして賞賛されたワールドクラスの日本人ダンスアーティスト。
今回のスタジオ撮影でも、カメラマンとの短い打ち合わせの中、てきぱきと自分の表現を提案。大音量の中で踊り始めると、小さなスタジオはあっという間に彼のステージと化し、見る者を釘付けにした。
この日本人離れした自己プロデュース力やパフォーマンス力は、いったいどこで、どうやって培われたのだろうか。

大学生だったケントさんは、突然ダンサーとして渡米されています。その経緯を教えていただけますか?

小さい頃からMTVアワードやグラミー賞の授賞式を観るのがすごく好きな子供だったんです。何度も見返しては、『いつかこの世界に入るんだ!』と思っていました。ただ、日本の芸能界なら東京に行って、まず事務所を探して…。という道のりがイメージできるけど、ハリウッドでダンサーを目指すとなると、どこの門を叩けば入れてくれるのか、まったくわからなかったんです。

思いはあるけど、なかなか踏み出せなかった?

そうですね。でも、19歳の誕生日のときにはじめて旅行でロサンゼルスに行って思いがどんどん強くなっていきました。そこで見た街の景観や空の色、ストリートの光景、音楽、ダンス、すべてが本当に輝かしかったんです。

それから何度か行くうちに『一生に一度でいいから、ここで全身全霊で踊りに向き合いたい』と思うようになって、大学3年のときに中退して渡米しました。

結局、それまでの自分はマトリックスと同じだったんですよ。プラグさされてることに気がつかなかった。
「いい大学に入って、一流の会社に入れば幸せなのよ」ということを、子供のことを思うがゆえに家族が言い聞かせる、みたいなのがあるじゃないですか。でもぼくは、そういうのが全然だめだった。一攫千金男なんで(笑)

周りの反対はありましたか?

特になかったですね。家庭環境には恵まれたと思ってます。ぼくの家族はぶっ飛んでるんですよ。家族のなかでぼくが一番キャラが薄いですからね(笑)。好きなら勝手にやってなさいっていう方針でして。

ダンスも習ったことがない?

ありますけど、初めの数年だけでしたね。なんかしっくりこなくて、その後は師は我なり、で。宇宙に教えてもらいました(笑)。

ハリウッドでダンサーになりたいという夢があったとしたら、普通は『まずダンス教室で基礎を学ぼう』と考えると思うのですが。

やり方は人それぞれあると思うんですよ。ぼくは自然に体から出てくるものが最強だと思っているので、自分の心が右に行けというなら、右に行くべきだと思っています。そのかわり右って決めたら、自分以外の全員が左に行ったとしても命をかけて右にいくべきだと思うんですよ。“follow your heart”ですよね。
例えば、洋服屋で店員さんに「これが流行りなんです」って服をすすめられることってありますよね。そう言われると、ぼくはぜったいに買わないんです。情報や知識はいらない、オレはオレの心に聞くからって。

大学をやめて渡米する。言葉にするのは簡単ですが、かなり勇気がいることだったのでは?

社会人になる日が近づくにつれてこわくなってきたんですよね。例えば、朝の通勤の時間帯って、みんなが同じ服を着て右向け右、左向け左っていうようにロボットみたいに動くじゃないですか。ぼくは絶対にそんな生活は無理だと思ったんです。それで『生き方を変えなきゃ!』って思ったんです。

そういう思いを抱く若者は多いですよね。でも、なかなか実行には移せない。

でも実をいうと、直接的なきっかけは失恋なんですよ。さんざんカッコいいことを言っておいて何ですけど(笑)。高校生のときから付き合っていた彼女にフラれて落ち込んでたら、親友が「なに落ち込んでるんだよ。ダンスやりたいって言ってたじゃん。今のタイミングでやれば?」って言ってくれたんです。

渡米後、マドンナの専属ダンサーとして活動されている時期に、マイケル・ジャクソンの『THIS IS IT』のツアーオーディションに合格。でも、マドンナと契約中だったから、マイケルのツアー参加は認められなかった。その時はかなり悩んだのでは?

あんな2人が自分のことを欲してくれるのは、本当にありがたかった。と同時に世の中すべてが思ったとおりにいくものではないと痛感しました。マイケルと同じステージに立つのがぼくにとってのいちばんの夢だったんですが、自分の夢に手が届きそうなときに、過去に自分が決めたこと(マドンナの専属ダンサーとしての活動)に運命を左右される結果になった。複雑だったし、そういうこともあるんだなと思いました。

そんな自分ではどうしようもない現実を前にしたとき、どうやって現実と向き合ってきたのですか?

Everything happens for a reason. ポジティブもネガティブも、すべての出来事には理由があって起きているんだと思って、前向きになるようにしています。

昔から、そういう考え方だったのですか?

実感したのはマイケルに会えたときですね。彼がダンサーを起用するのは8年ぶりのことだったんです。そしてそれは、ぼくがちょうどアメリカにいるときだった。ワンチャンスをものにしたんだと思うと、それまでにぼくが経験した酸いも甘いも、ポジティブもネガティブも、『すべてはこのためにあったんだ!』と思いましたね。
それ以来、なにか困難や障壁があったとしても、それは目標のためのハードル、神様が課した試練だ。自分を高めるチャンスなんだと思うようになりました。

今は日本でも活躍されていますが、日本で活動する中で何か感じたことはありますか?

日本はチームプレイを大事にしますが、アメリカでは個としてなにができるかが大事。
ダンサーに求められているのも、「どうやったら一人でスタジアムを『うわ~!!』って言わせられるか」なんです。日本のダンスやいろんなカルチャーも、もっと個が立ったうえでチームプレイができるようになれば、すごくよくなると思いますね。

それと、日本のエンタメシーンは、みんなが食べやすいように作られているな、と思うことがあります。
みんなが「いい」と言ったものが「いいもの」ということになる。それってチームプレイと同様に日本独特の文化なんでしょうね。学校の延長というか…。みんながプラグされてる感じ。

ただ、自分はそういう文化に憧れがないから、改革したいなっていう思いはあります。
1日や2日でできることではありませんけどね。

個を立たせたうえでチームプレイができる。それは、ビジネスの世界でも同じことが言えるかもしれないですね。いま、日本で働く同年代の人たちにアドバイスをするとすれば、どんなことでしょうか?

人生って一生に1回だし、生きてることは当たり前のようで当たり前じゃない。奇跡×奇跡×奇跡…って10乗くらいしないと、この瞬間に生まれてないと思うんですよ。
そして、その奇跡の人生は自由で、こうしなきゃいけないというルールもない。なにか大胆なことをしたって命が絶たれるわけじゃないし、法に基づいた中だったらなんだってやってみたらいいんですよ。ぼくはこれからもやりたいことをやって、食べたいものを食べて、会いたい人に会って死にたいと思います。

ケント・モリ
ダンスアーティスト。1985年3月3日、愛知県生まれ。21歳で単身渡米し、2年後マドンナの専属ダンサーに抜擢。その後、夢であったマイケル・ジャクソンの専属ダンサーに選ばれるもマドンナとの二重契約となり断念。現在も世界の名だたるトップアーティストからオファーを受け、日本でも振り付けや演出などで活躍。国内外で高い評価を得ている。近年では音楽活動にも注力しワールドクラスのダンスエンターテイナーとして活躍の場を広げている。

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