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2018.11.15 NEW

既成概念を再定義せよ! 「新3K」を提唱する宮治勇輔の農業改革

既成概念を再定義せよ! 「新3K」を提唱する宮治勇輔の農業改革のイメージ

脱サラして家業の養豚業を継ぎ、売り上げを3年で5倍に。宮治勇輔は「きつい・汚い・稼げない」の“農業3K”をポジティブに変換しようとしている。

大学卒業後は大手人材派遣会社に入社し、4年間働いた後に実家の養豚業を継がれていますね。転身にはどんなきっかけがあったのでしょうか?

きっかけになったのは大学2年生のときのバーベキューでした。
当時、親父が育てた豚があるコンテストで賞をもらって、精肉された状態で家に戻ってきたんです。でも、家族だけでは食べ切れない量だったので、大学の友人を呼んでバーベキューをしたら、友人たちが「こんなにうまい豚肉は食べたことがない!」とめちゃくちゃ感動してくれたんです。そのとき、友人に「この肉ってどこで買えるの?」と聞かれたんですが…。私には答えられなかった。悔しいので親父に聞いてみたんですが、親父も「よくわからない」というんです。実家で育てていた豚は神奈川中部で生産される銘柄豚ではあるんですが、売られるときは他の生産者の肉と一緒くたの状態。だから、「売られているスーパーまではわかるけれど、どれが自分たちの育てた豚かはわからない」と。

確かに、一般的な流通だと出荷した後の流れまでは把握できませんよね。

当時は「そういうものなんだな」くらいにしか思わなかったんですが、就職して少し経った頃に、ふと「いや、『これがうちの豚です!』と言えないのは由々しき問題なんじゃないか?」と思うようになり、日課にしていた朝活の読書で農業の本を読み漁るうちに、「第一次産業のあり方を変えたい」「農業を新しい3K産業にしたい」と思うようになったんです。いわゆる「きつい」「汚い」「稼げない」ではなく、「かっこいい」「感動できる」「稼げる」の“新3K”。そのためにも、まずは家業を3Kにしようと思い、会社を辞めることにしました。

なんとなく、農業は泥臭いイメージがありますね…。新3Kを目指すにあたって、どのようなプランを描いていたのでしょうか?
宮治 勇輔のイメージ

一般的に農業は生産して出荷したら終わりと考えがちですが、そのあとの商品開発、生産、出荷、流通、マーケティング、営業など、お客さんの口に入るまでを一貫してプロデュースするのが農業だと再定義してみたんです。そしたら、農業がすごく魅力的な仕事に感じられるようになりました。なので、その定義に従って親父が育てた豚を「みやじ豚」というブランド豚にし、より多くの人に認知してもらうためのプロデューサーになろうと考えました。

「実家に戻って農業を変えたい」という意思をご家族に伝えたのはいつ頃でしょうか?

思い立ったその年には、実家に戻って思いを伝えていました。「今までの農業は生産から出荷までで終わっていたけれど、生産からお客さんの口に届けるところまでが、自分の考える一次産業だ。俺がCEOをやるから親父はCOOをやってくれ」と。でも、親父は烈火のごとく怒りましたね。「お前の言っていることは地に足がついていない理想論だ」とまったく取り合ってもらえなかった。でも、ことあるごとに実家に足を運び、自分の思いを話し続けた結果、何とか受け入れてもらうことができました。

受け入れてもらうまでに時間がかかったものの、CEOとCOOの役割分担でスタートしたわけですね?

それが違うんです。最初は、親父と一緒に3年くらい生産をやった上で、外食産業で働いていた弟に合流してもらい、自分はプロデューサーになろうと考えていたのですが、何とびっくり! 私より2カ月早く、弟が実家に戻っていたんですよ(笑)。
養豚農家といっても規模が小さかったので、弟の分はまだしも私の給料なんか出せるはずもなく…。最初はいわゆるニート状態でみやじ豚というブランドを確立させる準備を始めました。

「農業を再定義する!」という思いの中、最初は何から着手されたのでしょうか?

まずは流通の経路を変えました。一般的な豚農家は、生きた豚を引き取る生産者団体や家畜商としか取引をしないのですが、うちは屠畜場に出入りしている問屋とも契約しています。簡単に言うと、その問屋にみやじ豚の枝肉(骨がついたままの状態の肉)をストックしてもらい、うちがお客さんから受けた注文通りに加工して、お客さんに送ってもらう仕組みです。たとえば、レストランからうちにロースとバラの注文がきたら、その注文の分を問屋から買い戻して、直接レストランに送ってもらう。余った肉はみやじ豚でなく“神奈川県産の豚肉”として問屋が自分の取引先に販売します。

従来の仕組みと比較して、新しい仕組みにはどのようなメリットがあるのでしょうか?

1つは、売れた分だけ問屋から仕入れる形なのでノーリスクだということ。もう1つは、1頭の豚で2パターンの商売…。つまり、農産物として市場に出す商売と、問屋から仕入れて売るという商売ができることです。この形を作ったことで、少人数の家族経営にも関わらず、肉の生産から販売までをトータルに扱えるようになりましたね。
ただ、どれだけいいビジネスモデルがあっても、みなさんにみやじ豚の存在を知ってもらわないと宝の持ち腐れ。みやじ豚の味と私たちの思いを知ってもらう方法はないか、と考えて14年前から近くの農園をお借りしてバーベキューも行っています。最初は知人や友人30人ほどからスタートしたんですが、来てくれた人の口コミが広がり、今では毎回100人以上が集まるようになりました。

実家に戻られた翌年に「株式会社みやじ豚」を立ち上げ、3年目には農林水産大臣賞を受賞し、売り上げも5倍に。未経験の業界で成長を続けるには、ご苦労もあったのでは?

比較的とんとん拍子に進んできた気もします。「これが自分の生きる道なんだ」と決めてからはとにかく愚直に、少しずついろんなことを乗り越えてきたので、あまり苦労したという感覚がないのかもしれませんが(笑)。あえて1つあげるなら、生産以外のほぼすべてのことを私1人でやらなければならなかったことでしょうか。もう1人いたら、もっと早く売り上げが伸びていたかもしれません。

1人で行き詰まったときに、助けになってくれるような存在はいましたか?

同業ではなく異業種にいました。ある社会起業塾に参加していたんですが、そこにはニート・フリーター支援、幼児保育、街づくり、教育などさまざまな業界でソーシャルビジネスを展開している人がたくさんいるんです。具体的に事業の相談をすることはありませんでしたが、彼らの考え方や行動力に触れるたびに、「俺も頑張らなきゃ」と刺激を受けていました。

同業の方との交流はなかったんですか?

当時は意図的に持たないようにしていましたね。同業の中だけで交流すると、どうしても視野が狭くなるし、思っていることが言えなくなるからです。その一方で、農業の枠を超えた交友関係だと、忌憚なくビジネスのアイデアを交換したり、困っていることを話したりすることができる。それは私にとって大きかったと思います。

みやじ豚として、今後はどのような展開を考えていますか?
宮治 勇輔のイメージ

うちは平均的な農場の半分くらいの頭数しか扱っていないので、たくさん売りたくても売る豚がいないんですよ。だから当面は、今までどおりおいしい豚を育てて、僕らの思いと味をわかってくれるお客さんに販売していければいいなと思っています。

今後さらに発展していくには、継続性が大事になるかと思いますが、農家の後継者不足についてはどう考えていますか?

親父世代の同業者の中には、自分の子どもに「農業じゃメシが食えないから、東京に出て働け」とおっしゃっている方が少なくないし、家業と無関係な仕事に就いた“こせがれ”もたくさんいます。もともとは私もその1人だったんですが、実際に家業を継いでみたら想像より何倍も素晴らしい仕事だと気がついたんです。だからこそ、農家で生まれ育った“こせがれ”たちが、農業の魅力と可能性に気づかずに生きているのは、あまりにもったいないと思ったんです。また、社会に出た“こせがれ”たちが、別の業界で身につけたビジネススキルやノウハウ、ネットワークを持ち帰って、親の生産技術と融合させていけば、新しい農業のビジネスモデルが生まれるかもしれません。そういう思いで、2008年から「農家のこせがれネットワーク」というNPO法人の活動を続けています。

NPO法人の発足から10年が経ち、活動に変化はありますか?

世間の農業を見る目がずいぶん変わりましたし、SNSを使った若い農業者同士の情報交換も盛んになりました。「農業をやりたい」「地域のために何かしたい」という若い学生も増えています。そういう意味では、情報提供やネットワークづくりという面で、一定の成果はあげられたかなと感じています。
次なる課題は、「事業承継」という農業界最大のテーマですね。近年は講演会などで全国各地を回っているんですが、そこで“こせがれ”たちから必ず出てくるのが「毎日、親父とケンカしています」という話題。家族で営んでいる形態にネガティブなイメージを持っていたり、親世代との経営面での感覚の違いに感情的になってしまったりという人が少なくないんです。そんなこともあって、農業における事業承継を考えるにあたっては、「ファミリービジネス(家族経営)」に対する正しい知識を備える必要があるのかなと思っています。

確かに、ファミリービジネスに対して「時代遅れ」的なイメージを持っている方は少なくないかもしれません。

でも、日本の法人の約97パーセントはファミリービジネスですし、ヨーロッパではむしろ尊敬される形態。MBAではファミリービジネス論を当たり前に教えています。そして何より、家族全員がまとまって、同じ夢や目標に向かってがんばれるのは素晴らしいことだと思います。実は、2015年から丸2年農家のファミリービジネス研究会というものをやっていて、全農と協働で『事業承継ブック』という親子の話し合いのきっかけになるような冊子を作って配布したり、eラーニングの会社と組んで農業後継者向け事業承継講座のプログラムを作ったりもしているんです。今後は農業の枠を取り払い、全ての家業の“こせがれ”に向けて、ファミリービジネスの認識とか、事業承継の基本的な考えを学べる場を提供していきたいですね。

では最後に、EL BORDE読者のみなさんにメッセージをお願いします。

ちょっとでも、自分を変えたいとか刺激が欲しいと思うなら、居心地がいいと思っている枠をはみ出していかないと変われません。私のように極端な越境をしなくても、たとえば「ここまでが自分の仕事」と思っている枠を少し広げてみるだけで、仕事の見え方が変わってやる気が出ることもあると思います。40歳になってちょっと疲れてきたところもありますが(笑)、私もまだまだ挑戦し続けたいと思います。

宮治 勇輔(みやじ ゆうすけ)
1978年生まれ、神奈川県出身。慶応義塾大学総合政策学部卒業後、パソナに入社。2年目で新規プロジェクトの事務局長に抜擢されるなど頭角を現し、2005年に家業に入る。株式会社みやじ豚代表取締役社長、NPO法人農家のこせがれネットワーク代表理事。ルーティーンは毎月新刊のビジネス書10冊に目を通すこと。
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