未経験から始める農業! 必要予算はどれくらい? 理想の生活実現のヒント

2019年9月25日

自然豊かな場所に移り住み、野菜をつくりながら過ごす――。神奈川県二宮町で野菜の生産と養鶏を営む川尻哲郎さんは、多くの人が夢見るであろう暮らしを実践している人物だ。

川尻さんが仲間と営む畑では、無農薬の野菜が元気に繁り、木陰には希少なニホンミツバチの巣箱も設置。別の畑に足を伸ばせば、放し飼いにされた鶏が鶏舎の中を駆け回り、新鮮な有精卵を次々と産んでいる。

もともとIT系の仕事をしていたという川尻さんが、なぜ農業を志し、土と触れあう生活を送るようになったのか。その経緯や充実した暮らしぶり、必要な予算や、これから農業を営みたいと考えている人へのアドバイスなどを伺った。

農業は「自由な働き方」を求めた自分に向いていた

川尻さんは2016年に、まったくの未経験から二宮町に移り住み、「コッコパラダイス」の屋号で野菜づくりと養鶏を始めたと伺っています。それ以前は、どのような仕事人生を送ってきたのでしょうか?

テレビでも紹介され、見学者も絶えないコッコパラダイス

一番長く勤めたのは新聞販売店を運営・管理する企業ですね。そこでは、折り込みチラシの販促やミニコミ誌の制作、ツアーの企画などを手掛けていて、自分の企画を形にできるのがとても楽しかったですね。その後、某IT企業に役職付きで入社したのですが、1年程度でインターネットバブルが弾けてしまったので、独立して自分でパソコン教室を開業したり、フリーランスでホームページをつくる活動をしたりしました。

そこから農業の世界に身を転じたわけですが、農業に注目するようになったきっかけは何だったのでしょうか?

川尻さんは農業の楽しさを語りだすと止まらない

農業というか、自分で作物をつくることに意識が向いたのは2011年の東日本大震災がきっかけです。震災を機に「いつ何が起きるかわからない」ということを実感し、最低限、自分の食べ物くらいは自分でつくれるようにしておくべきなのかもしれないと思うようになったんです。

それで農業についていろいろ調べたのですが、無農薬で農業をやれば、消費者の健康にもいいし、環境にも優しい。大地や自然を相手にする仕事なので、会社に縛られることもない。「これは自分に向いているんじゃないか」と思えてきて、少しずつ興味が強くなっていきました。

未経験で飛び込んだことで生まれた、仲間との「つながり」

経験ゼロからのスタートでしたが、どんなことから始められたのでしょうか?

まずはインターネットで近所の農業セミナーを探して参加しました。最初は何もわからない状態でしたが、参加しているのが僕と価値観の近い人たちばかりで、とても居心地がよかったですね。農業について学ぶのはもちろん、自分の得意分野を生かしてセミナーのホームページをつくったり、イベントを手伝ったりするうちに、講師や受講生たちと仲良くなりました。今、一緒にやっている仲間とも、そこで出会ったんです。

就農先として二宮町を選んだのは、何か理由があったのですか?

「コッコパラダイスへ向かう、この道の風景が好きなんです」と川尻さん

農業研修で知り合った人から勧められたことや、当時住んでいた場所から通いやすかったこと、自然が豊かだったことなどいろいろ理由はありますが、正直なところ、決め手となったのは直感です。候補の1つとして二宮町を訪れた際、ふと時計を見てみたら2時22分。帰り際に居酒屋に寄ったら、お勘定が3,333円。店を出て電車に乗ろうと時間を確認したら、今度は5時55分。ゾロ目の連続でびっくりして、「GO・GO・GO(555)」と言われているのかなと(笑)。

それだけ続くと、何かの啓示に思えますね(笑)。とはいえ、農業への転身は大きな決断です。不安はありませんでしたか?

「半農半X(はんのうはんえっくす:自分の生業と組み合わせながら農業を行うこと)」でやろうと思っていたので、不安はなかったですね。いきなり生活基盤をすべて変えるわけではないので、生きることに困ることはないだろうなと。

セミナー受講後、すぐに農業を始められたのですか?

はじめて住む土地で畑を借りるあてもなかったので、まずは「湘南二宮・ふるさと炭焼き会」という山の間伐や炭焼きを行うボランティアに参加して、知り合いを増やすことにしました。引っ越して3カ月くらい経った頃には、農業セミナーで知り合った仲間も二宮町に通うようになっていたんですが、ある時、ボランティアで知り合った人から声をかけてもらえて、無料で休耕地を借りることができたんです。

それが、いま「コッコパラダイス」として養鶏を行っているこの場所なんですね。

はい。ただ、ここで養鶏をやろうなんて考えていなくて、最初のうちは鍬を買って、自分たちで畑を耕して、野菜を育てていました。そしたら、半年くらいしてまた別のボランティアで知り合った人が養鶏を辞めるからというので、鶏をいただけることになった。養鶏を始めることにしたのは、その時からです。縁というのは大事ですよね。

人の縁が繋がることで夢が実現していくというのは素敵ですね。

こだわりのもと、大切に育てられている「コッコパラダイス」の鶏たち

そうですね。思い切って飛び込んでみて正解だったなと思います。とはいえ、最初は苦労しました。いまだに日々試行錯誤の連続です。でも、自分で試行錯誤したからこそ得られる発見もありました。

たとえば、普通の養鶏では鶏が卵を食べてしまわないようにくちばしをカットするのが一般的ですが、「コッコパラダイス」では餌の配合を工夫することで、鶏に食べられない堅い卵をつくることができた。おかげで、くちばしをカットせずに済んでいます。

自分たちで試行錯誤しているからこそのこだわりですね。ほかにも、こだわっていることはありますか?

いちばんは“地域循環型”ということです。茅ヶ崎の地ビールの会社からもらってきた麦芽、地元の豆腐屋のおから、学校給食の残りなど、本来廃棄処分になるはずの食べ物を鶏の飼料にしています。

手間だけを考えると餌は普通に買った方が楽ですが、僕はやはり循環型にこだわりたい。おかげで、地ビールの会社の敷地で野菜を販売させてくれたり、移動販売の豆腐屋さんが一緒に卵を売ってくれたりと、地域とのつながりも生まれてきています。こだわりから地域とのつながりが生まれて、つながりから新しいこだわりが生まれる。すごく充実して楽しいですよ!

考えすぎずに行動することが「ワクワク」につながる

野菜づくりのほうでは、ずっと無農薬にこだわってきたと伺っています。無農薬での野菜づくりはとても難しいと思うのですが、そこにこだわっている理由を教えてください。

農業でお金を儲けようとは思っていなかったので、環境や健康のことを考えて農薬は使いたくなかったんです。不可能だといわれていた無農薬リンゴの栽培に成功した木村秋則さん(著書『奇跡のリンゴ』)の影響も大きいですね。安心・安全な生活環境づくりは社会全体の課題でもありますが、本当の安心は安全な食べ物を食べて生きていくことからはじまると思っています。

確かに、近年は食のあり方を考え直す人が増えてきました。

野菜作りに加えて、新しく畑の近くで始めた養蜂も順調に進んでいる

今は時代の変換期。食や農業に対する考え方も変わっていくと思います。僕は昭和のバブルにも、インターネットバブルにも乗り切れなかった人間ですが、これからやってくるであろう農業の波にはしっかりと乗っていきたいですね。

消費者の方々からの反応はいかがですか?

安全な食べ物は、やはりニーズがあるのだなと実感します。イベントに出品すると、すぐに完売しますから。どんな環境で生産されているのだろうと、畑や鶏舎を見学に来る方もいらっしゃいます。僕たちの野菜や卵は手間がかかっている分、普通に売っている商品よりも価格は高いのですが、それだけの価値はあると思っていますし、比べれば絶対に選んでもらえるという自信もあります。

とても意義のある活動だと思います。今後、農業を通じて実現していきたいことはありますか?

アグリサポーターのメンバーになると、農機具や農業施設をシェアすることができる

二宮町では、二宮団地に暮らし始めた人への農業支援を行う「アグリサポーター制度」が始まりました。僕もアグリサポーターに選んでもらえたので、これからは仲間を増やして、農業を通したコミュニティづくりに力を入れていきたいと考えています。

もちろん、新しく参加する人には、僕が持っている情報をすべて提供するつもりです。この前も「養鶏をやりたい」という人が見学に来たのですが、やり方はすべて教えて、「ここでやってもいいよ」と伝えました。

ノウハウを全て共有してもらえるというのは、とても贅沢ですね! 従業員としてではなく、「仲間」というのも素敵だと思いました。

たしかに、こういうときは「雇う」という考え方になるのが一般的かもしれませんが、僕にはそういう感覚がない。むしろ、そういう考えはもう古いと思っています。コミュニティは縦割りじゃなくて、横に広がらないと意味がありませんから。いろいろなことが得意な人が集まって、横に広がっていったほうが、コミュニティは濃く豊かになりますよね。

川尻さんのように田舎で農業に携わりながら暮らしたい人は増えていると思います。農業を始めたい人にアドバイスはありますか?

「ワクワクすることをやっていきましょうよ!」(川尻さん)

あまり考えすぎず、まずは行動してみることですね。それと、教科書通りにやろうと思わずに、いろいろなやり方を模索するべきです。実際にやってみると何かしら問題が出てくるものですが、それを克服するとストーリーになるし、自分の財産にもなる。それが面白いんですよ。

最初は畑もなく、養鶏をやる予定もなかった川尻さんならではのアドバイスですね。最後に、同世代の方々にメッセージをお願いします。

今は、人生100年時代だといわれています。ということは、50代でもまだ人生を折り返したばかり。まだまだ先は長いですよ。だったら、少しでも「ワクワクする生き方」を選んで、人生を充実させたほうがいいと思います。そのためには、何よりもまず行動すること。それが「ワクワクする生き方」の必須条件ではないでしょうか。

【夢の値段】

  • 土地代:0円(休耕地を借りているため)
  • 鶏舎:約100万円
  • 鶏(ひよこ):約4万円(100匹購入として)
  • 農耕器具:約40万円

合計:約144万円

土地代は一般的には年間で9,000円程度が相場だそうだが、休耕地を借りているため0円。必要金額の合計は約144万円だというが、川尻さんの場合、鶏舎の建築や農耕器具の費用は仲間と折半しているため、実際の負担額は半額の約72万円だったそうだ。「仲間を見つければ、意外と安く始められますよ」と川尻さん。とはいえ、長く続けるためには初期投資だけでなく、長期的の視点が不可欠。これを機に、資産状況や運用方針を見直すきっかけにしてみてはいかがでしょう。


プロフィール

川尻 哲郎(かわじり てつろう)

1962年生まれ。北海道出身。新聞販売店の運営企業勤務などを経て、パソコン教室の経営やホームページ制作などIT系へ転身。54歳の頃に神奈川県二宮町に移住し、未経験から農業を開始。現在に至る。