【3分で読める】江戸時代の金貨の改鋳~幕末には改鋳による狂乱インフレが起きた~

改鋳(かいちゅう)とは、金属でつくられた貨幣の重さや、貨幣に含まれる金銀などの割合(品位)を変えることで、江戸時代には何度も改鋳が行われました。本コラムでは、江戸時代の一両小判の改鋳と幕末に起きたハイパーインフレの関係について見ていきます。
通貨発行量を増やすための「通貨改鋳」
江戸時代、物価が急騰し、米が買えないことに怒った都市の町民たちが米屋を襲撃した「打ちこわし」が相次いだことは、日本史でおなじみの話でしょう。当時の日本経済において、米は事実上通貨としての役割を果たしていたことから、飢饉などの影響で米価が急騰し、商人たちが米を買い占めるとさらに米の値段が上がり、物価上昇(以下、インフレ)が起こりました。
しかし、幕末のインフレ時には飢饉が起きていたわけではなく、また開国により外国人によるコメの消費が増えて米不足になったわけでもありません。
第11代将軍徳川家斉の時代の幕府の放漫財政に端(たん)を発し、攘夷や倒幕運動の高まりに対応するために幕府の戦費負担が増大し、財政補填のために幕府が通貨発行量を急増させたことが大きな要因でした。そして通貨発行量を増やすために行われたのが、金(ゴールド)の品位を低下させる「通貨改鋳」でした。
下図は、江戸時代に流通していた一両小判を比較したものですが、江戸時代初期に流通していた慶長小判と比べると、幕末の1860年に発行された万延小判は小型化されたうえに品位も低下し、金含有量はおよそ9分の1になっていました。

開国により金が流出
幕末に通貨改鋳が進んだもう一つの要因は、当時金銀の交換比率が内外で大きく異なっていたことでした。欧州では、植民地から金が流入し、金本位制が確立されつつありましたが、重要性が薄れた銀への需要が低下し、「金高銀安(きんだかぎんやす)」が進んでいました。これに対して、日本では国際基準と比べて「金安銀高」にありました。そのため、外国商人たちは、日本に銀を持ち込み、それを金に換えて、自国でまた銀を購入する、といった行動を繰りかえすことで巨万の利を得ていました。その結果、日本国内では大規模な金貨流出・銀貨流入が起こりました。
こうした状況を是正するために、幕府は金貨の改鋳を行い、万延小判は安政小判の3分の1の価値に引き下げられました。通貨改鋳はさらなる金の流出を防ぐための金銀レートを切り上げる狙いもあったのです。

開国後のハイパーインフレーションの要因
通貨改鋳による通貨量の増加や、開国後の金の流出は日本国内にインフレを引き起こす要因になりました。また、日本は17世紀以降、長く鎖国政策をとっていましたが、開国により生糸や絹製品等の輸出が増えた結果、国内の輸出品の価格が上昇しました。
これらの要因が組み合わさり、ハイパーインフレーション、すなわち制御不能な狂乱インフレが起きました。

まとめ
こうしてみると、幕末のハイパーインフレーションの本質は、長年にわたる鎖国政策のツケが回ってきたことであったように思えます。金貨改鋳や金の流出などがハイパーインフレーションを引き起こしたという経験を経て、その後、明治政府は日清戦争で得た賠償金をもとに金本位制を確立します。これは江戸時代の反省とともに、金の安定した価値に注目した政策でした。
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編集協力:野村證券株式会社 投資情報部 山口正章
編集/文責:野村ホールディングス株式会社 ファイナンシャル・ウェルビーイング部
記事公開日:2025年12月22日


