2024.10.31 NEW
野村総研・木内登英が語る衆院選・米大統領選後の世界「今は時代の転換点」
文/斎藤健二(金融・Fintechジャーナリスト) 写真/タナカヨシトモ(本文中)
2024年後半以降は、日本の衆院選や米大統領選の結果、日米の政治が大きく変わる可能性があります。日本では少数与党内閣という不安定な政権運営が続きそうで、米大統領選に関してはトランプ氏が勝利した場合の追加関税政策などへの懸念が高まっています。政治の変動が株式市場や為替相場にどのような影響を及ぼすのでしょうか。野村総合研究所エグゼクティブ・エコノミストの木内登英さんに、両国の政治の行方と投資家の心構えについて聞きました。
少数与党で不安定な政権運営になる可能性
- 衆議院議員選挙が自民党の大敗で終わりました。日本の政治の現状をどう見ていますか。
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与党で過半数の議席を得られなかったため、今後、首相指名で野党の協力を得られて石破茂氏が首相に就任できたとしても、少数与党内閣を運営せざるを得ない可能性があります。野党が過半数以上の議席を持つ以上、いつ協力を得られなくなり内閣不信任案が可決されてもおかしくありません。政治は不安定な状況といえます。
石破首相自身もそのような発言をしているとおり、有力なのは国民民主党との協力です。国民民主党は選挙で議席を大幅に伸ばしており、その政策の一部を受け入れることと引き換えに、首相指名選挙(注)での協力を得るというシナリオが考えられます。
(注)衆院選後に特別国会において衆議院・参議院両院における投票により新首相が選ばれる(11月11日となる見通し)。過半数を得る議員がいなければ上位2人での決選投票が行われる。衆院選の結果、与党の議席が過半数に達しなかったため、30年ぶりの決選投票にもつれこむ公算が大きくなっている。
ただし、国民民主党はやや財政拡張的な色彩が強いです。所得税の基礎控除等の引き上げを通じて、所得税支払いを回避するために労働を控えてしまう「年収の壁」の対応を進めることなどを主張しています。賃金上昇率が4%を超えるまで金融緩和を続け、その間は増税も社会保障料引き上げも一切行わないという方針です。
石破氏は、選挙後に補正予算編成を伴う経済対策を実施する考えを示してきましたが、必要な国費の規模が膨らむ可能性があるでしょう。
- 衆院選の結果、最も不安定な政治情勢となったわけですね。
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私はそう考えています。与党がもっと大きく負けて立憲民主党が第一党になっていれば、左派連立政権が誕生し、それはそれで政権交代による一定の安定性は期待できました。そうならずに少数与党となった結果、政策が進まなかったり、予算編成が難航したりする可能性があり、これは経済にとって逆風になるでしょう。
財政拡張路線へ、短期的な株高も
- 株価は選挙後に上昇しましたが、市場はどのように評価しているのでしょうか。
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非常に不安定な政権になるはずなのに、株価が大きく上がっているのは意外でした。一つは政策が変わることへの期待感があるのだと思います。その変化が短期的には経済や株式市場にプラスだという評価で、株高・円安が進んでいるのでしょう。ただし、これがずっと続くかどうかは分かりません。
石破首相はもともとアベノミクスを修正し、金融財政政策の正常化を目指す立場でしたが、首相就任後は党内のコンセンサスを得るために、そこは大きくトーンダウンしてきています。法人税や所得税の引き上げについても言及内容が混乱し、金融所得課税の見直しについても判断を保留しています。これが一段階目のトーンダウンです。今後、野党との協力を得る過程で、さらに二段階目のトーンダウンが起きる可能性があります。
- 長期的な影響はどうみていますか。
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この政策変更は、当面の景気には良いかもしれませんが、長い目で見ると問題があります。金融政策の正常化が遅れることで円安が進み、物価高で消費への逆風が強まる可能性があります。多額の国費を必要とする財政拡張政策を打つことにより財政面の悪化が進めば、将来世代の負担が増えてしまいます。その結果、経済成長期待が低下する懸念があります。
もし早期の解散総選挙が実現し、それで政権が安定するのであれば、日本経済にとってはプラスになるでしょう。私は与党が自民党・公明党であっても立憲民主党であっても、消費税減税に反対するなど経済成長に関して現実的な政策を掲げているため、それほど経済への影響に違いはないと思っています。
- 石破政権として独自色を出せる分野はありますか。
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地方創生は野党からも反対が出にくい分野です。地方創生と東京一極集中の是正、そして少子化対策を三位一体で進めていく考え方は重要です。地方でのビジネス創出、デジタル活用、第一次産業の活性化などを通じて、生産性向上につなげていく。東京に一極集中した人口を地方に分散させることにより、地方に余ったリソースを活用できるのは意味があるでしょう。
また、その起爆剤としてはインバウンド需要の取り込みが重要になってくるというのが私の考えです。インバウンドほどの規模の成長分野は他になく、地方創生を実現するには欠かせない要素だと思います。
ハリス政権なら現行路線を継続
- 日本で政権の枠組みが大きく変わる一方、米国でも11月5日の大統領選を控え、政治の転換点を迎えています。トランプ氏とハリス氏では、経済政策にどのような違いがありますか。
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ハリス政権の場合は、基本的に現在のバイデン政権を引き継ぐ形となります。国際協調路線を維持し、国内的には民主党らしく労働者や低所得者に配慮した政策を進めるでしょう。一方、トランプ氏は追加関税政策を軸とした保護主義的な政策を打ち出しています。この違いは市場に大きな影響を与える可能性があります。
- ハリス氏は具体的にどのような政策を掲げているのでしょうか。
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バイデン政権を基本的に引き継ぎ、経済政策も外交安全保障政策も大きくは変わらない見通しです。ただし、これまでバイデン・ハリス陣営は大統領選に向けて二つの大きな逆風に見舞われてきました。物価高と移民問題です。トランプ陣営もこの二つを攻撃材料として使っています。
2024年8月に物価高対策を打ち出し、不当に価格を引き上げている企業を取り締まる方針を示しました。ただ、これが反企業的だとして産業界からの反発を招いてしまいました。その後、半導体やクリーンエネルギーなど先端産業の国内生産を税制面で支援するなど、企業寄りの政策も打ち出しています。
- これらの政策は実現する可能性が高いのでしょうか。
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実は、ハリス氏が掲げる政策の多くは実現が難しいと見ています。というのも、議会では共和党が優位な状況が続く可能性が高いためです。物価高対策にしても、法律を通さないと実現できません。民主党らしい政策は議会で否決される可能性が高く、選挙向けのアピールに終わる可能性が高いでしょう。一方で、これは極端な政策が実行されないという意味では、市場にとってはプラスに働く面もあります。
- 移民政策についてはいかがでしょうか。
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民主党の基本的な立場は移民に寛容な国を守るというものです。これは実は経済にとってプラスです。移民の流入を止めれば、アメリカの経済成長率は0.6%~0.7%程度下がる可能性もあると見ています。ただ、この問題でも批判を受けており、最近では政策を若干修正していますが、寛容な移民政策という基本路線は変わらないでしょう。
トランプ氏の追加関税、市場は過小評価
- 一方でトランプ氏の追加関税政策について、市場はどのように見ているのでしょうか。
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金融市場では評価が分かれていますが、私は市場が追加関税の経済へのマイナスの影響を過小評価していると考えています。追加関税を導入すると一時的には物価が上がり、もしかしたら長期金利が上昇してドル高になるかもしれません。しかし、経済を相当悪くすることは間違いありません。多くの経済学者もそう考えていて、今春にはノーベル経済学賞受賞者を含む16人の米国の経済学者が、トランプ政権は経済に大きな打撃を与えるという声明を出しています。
- 前回のトランプ政権時代と比べて、今回の関税政策はどう違うのでしょうか。
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前回は鉄鋼・アルミに25%などの追加関税をかけました。その結果、中国からの輸入品は平均11%程度、中国以外からは1%程度の平均関税率となっています。しかし今回トランプ氏が掲げているのは、中国からの輸入品に原則60%、その他の国からも10〜20%の関税をかけるという内容です。これが実施されると、平均関税率は17%程度になり、これは現状の2〜3%から大幅に跳ね上がることになります。さらに今回は一律に課すという点がポイントです。この関税率の引き上げと移民規制の強化を合わせると、米国のGDP(国内総生産)を2%程度押し下げる効果があると見ています。
これは景気後退入りが避けられないレベルの下落幅です。市場があまり警戒していないのは、前回のトランプ政権時代に追加関税を実施しても経済があまり悪化しなかったという安心感があるためでしょう。しかし、今回は全く規模が違います。議会の承認なしに大統領令だけで実施できる政策なので、実現性は高いと考えた方がよいでしょう。
- トランプ氏の政策は世界貿易にどのような影響を与えそうですか。
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戦後築き上げてきた自由貿易の仕組みを根底から崩すような影響があると考えています。世界恐慌以来の水準まで米国の関税率が上がることになるからです。これに対し、中国や欧州の国々は当然報復措置を取るでしょう。日本は報復しないとは思いますが、各国の報復合戦が起これば、世界の貿易は大幅に縮小することになります。
日本企業にとっても対米輸出への打撃は避けられません。関税が10〜20%と一気に上がってしまえば、輸出企業へのダメージは相当なものになります。さらに深刻なのは、日本企業が米国内での生産を迫られる可能性です。自動車メーカーなどは米国内での生産比率を上げざるを得なくなり、日本国内の生産拠点が縮小する恐れがあります。長期的に見ると、工場の海外移転による国内景気の悪化の方が、より本質的な問題になるかもしれません。
- トランプ氏の政策で、日本経済へのプラスの面はないのでしょうか。
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限定的ではありますが、いくつかあります。例えばEV(電気自動車)支援策の見直しは、日本の自動車メーカーにとってはプラスに働く可能性があります。トランプ氏はEVへの過剰な肩入れを問題視しており、現行のEV優遇策を見直す可能性があります。日本が強みを持つハイブリッド車の競争力が相対的に高まる可能性はあります。また、エネルギー産業への規制緩和なども一部の企業にとってはプラスになるかもしれません。
- 為替や株式市場への影響はどうみていますか。
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短期的な市場の反応は予測が難しいのですが、少し長い目で見ると、トランプ氏が勝利した場合、私は株安・ドル安につながると考えています。追加関税によって物価が上昇し、経済が悪化してスタグフレーション(景気停滞とインフレの共存)的な状況になれば、中央銀行も対応に苦慮することになるでしょう。一方、ハリス政権の場合は、現行政策の継続という意味で、緩やかな株高・ドル高が予想されます。日本にとってはハリス政権の方が、経済・市場の安定性という意味でプラスだと考えています。
投資家はどういう想定で臨むべきか
- 投資家はこの先の日米の政治変動をどのように捉えればよいでしょうか。
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短期の株価変動を予測するのは容易ではありませんし、それにこだわるべきではないでしょう。例えば日本の衆議院選挙の時も、与党大敗で株価は大きく下がると考えていた人が多かったのですが、実際にはそうはなりませんでした。米大統領選も、結果が出た直後の市場の動きを予測するのは容易ではありません。
少なくとも、このところ続いたグローバル企業を中心とした株高の傾向がずっと続くとも考えないほうがいいと思います。現状、物価高になっているため、株式市場は名目で上がっている面が強いと思います。円安になれば名目の企業収益が増えて株価も名目で上がります。賃金も物価も30年以上ぶりの上昇率ですが、これは名目ベースの話だと思います。
物価上昇率や円安が収まってくれば、企業収益の増え方が一時的には緩やかになり株価下落の方向で動くかもしれません。ただ、そうなると今度は個人消費が戻ってくるので、経済の成長力は高まってくると思います。円安で実態よりも収益が大きく見えているグローバル企業や輸出企業よりも、むしろこれからは今まで弱かった内需関連の改善に期待が持てるのではないでしょうか。これまでの株高の事情が変わる可能性のある、時代の転換点だと思います。
- そういった時代の転換点において、長期的な視点でどのような投資姿勢でいることが望ましいでしょうか。
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もっと先を見た時には、株価が上昇するには、経済の成長期待が高まらないといけません。株式を含めたすべての投資の期待リターンは名目GDPの成長率など、経済の潜在力がベースとなります。これが上がってくれば、リスク資産は平均リターンが高くなるでしょう。本質的に経済の成長期待が高まっているかどうかを確認しながら、短期での株価の乱高下に慌てるのではなく、中長期で経済がどうなっていくのかを見続ける視点が重要です。
日米の政治において大きな転換点が来ている今、これまで米国のグロース企業や日本のグローバル企業の株価上昇の恩恵を受けていたという人は、これを機にあらためて長期投資と分散投資について考え直すのもいい機会だと思います。
- 木内登英
野村総合研究所
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト - 1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
※本コラムで取り上げられたマーケットや投資に関する考え方などについては、あくまで個人の見解によるものであり、野村證券の意見を代表するものではございません。本コラムは、投資判断の参考となる情報の提供を目的としており、投資勧誘を目的として作成したものではございません。 また、将来の投資成果を示唆または保証するものでもございません。銘柄の選択、投資の最終決定はご自身のご判断で行ってください。
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