2018.01.09 NEW
注目を集めるコンピュータ将棋業界。勝つために進化を続けるHEROZ平岡拓也の意地
2014年にコンピュータ将棋の頂点に立った「Apery」と平岡拓也。“猿真似”と名付けられたプログラムは、今も進化する戦いに挑み続けている。
- 将棋を始められたのは4歳頃だとうかがっています。
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きっかけはあまり覚えていないんですが、最初は家族に教えてもらった記憶があります。そのあとは近所の将棋好きのおっちゃんたちに教えてもらいながら、自然と好きになりました。向かいの服屋のおっちゃんには店頭で教わっていました。迷惑かけましたね(笑)。
- 将棋のプログラミングに興味が出てきたのはいつ頃ですか?
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23歳ごろだったと思います。当時、「Bonanza」という非常に強い将棋ソフトのソースコードが公開されたんですよ。
- コンピュータ将棋を代表する名ソフトですね。
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興味があったのでぜひ見てみたかったんですが、プログラミングはあまり得意でなかったので理解できないところも多くて…。いい機会だから、プログラミングの勉強をしっかりやってみようと思うようになりました。
- Bonanzaに出会う前から、プログラミングの素地はあったのでしょうか。
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大学卒業後に就職した半導体メーカーで、機器開発のためのプログラム作りを担当していました。でも、少しずつ能力以上のプログラミングを要求されるようになったので、休日も遊んでばかりいたらまずいな、プログラムを読んで勉強しようかなと思い始めた。とはいえ、興味がないものを読むのはつらいので、好きな将棋のBonanzaを読むことにしました。
- そこから、実際に将棋ソフトを作ることになった経緯を教えてください。
Bonanzaはすごいプログラムなんですけど、プログラムを書いた保木邦仁さん(電気通信大学准教授)が天才的なので、僕にとっては読むのは非常に難しかったんです。
読んでいくうちに改善できる処理も見つかったので、自分なりにわかりやすくて性能のいいプログラムを書いてみたくなりました。
- 平岡さんのように後にプログラムを読む人が困らないために、ということですね。
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そうですね。強いソフトを作るのはもちろんですが、僕自身がすごく苦労したので、他の人が楽に読めるものを作りたいという気持ちはありました。
- Aperyの開発で一番苦労したのはどこですか?
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何よりも開発を始めるまでにすごくエネルギーを使いました。
ソフトを一つ作るのはものすごく時間がかかるのですが、仕事をしている以上、その時間は余暇をつぶしてなんとかするしかない。ただ、そうやって労力と時間を費やして作ったソフトがまったく勝てずに終わる可能性もあるわけで…。そういったことも含めて覚悟が必要でした。やるからには完成させたかったし、完成しないままやめてしまうことだけはしたくないと思ったので、「勝てなかったら勝てないでいいや。
自分なりに納得がいくレベルまで毎日コツコツやろう」と決めて、2011年の1月ごろから本格的な開発をスタートしました。
- 平日の制作時間はどれくらいでしたか?
3時間とれればいいほうでしたね。集中したいときは21時とか22時に仕事を終えて、そこから帰って5~6時間とか。パソコンの前でよく寝落ちしていました(笑)。
- 開発に一区切りがついたのが、2013年の冬だったとうかがっています。
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世界コンピュータ将棋選手権に初めて出場した2012年の時点で、一応動いて、反則することなく差し切れるようにはなっていました。でも、全然納得がいくものではなかった。
コンピュータ将棋は大まかに局面を読む部分と指した手を評価する部分に分かれているんですが、2012年の段階では、まだ評価のプログラムを自分で作れていなくて。2013年の秋から冬にかけて、ようやく自分のプログラムですべてが動くようになったんです。“師匠”にしていたBonanzaよりも強くなりましたし、とりあえず少し納得できるものとなりました。
- Aperyという名前はいつ、どのような理由でつけられたんですか?
最初の大会に出る少し前ですかね。Bonanzaやチェスのプログラムを参考にしつつ、自分なりの工夫も取り入れたかったのですが、有効な工夫をあまり入れられなくて…。まだまだ半人前という意味も込めて「猿真似」という名前にしました。
- その後も改良を重ね、2014年の世界コンピュータ将棋選手権では初優勝を遂げました。
世界で初めてプロ棋士を破った実績を持つ、「Ponanza」を破っての優勝だったのですが、ギリギリのところで逆転優勝できて、すごく印象的でしたね。先にPonanzaが残り2戦で、あと1回引き分け以上になれば優勝が決まるというところで、Ponanzaが2連敗し、Aperyが優勝。信じられない勝ち方だったので「えっ?」という感じでした。大会サイトにはPonanza開発者の山本一成くんが頭を抱えている写真が残っています(笑)。
- 優勝するまでの間、つらかったことはありましたか?
2012年以降は開発の時間がかなり増えていましたが、つらいと思うことはあまりなかったですね。初めて大会に出てからは、楽しくて仕方がなかった。もちろん、なかなか強くならない時期もあったんですけど、数を打てばそれだけ強くなるところがあるので、成績が悪いときでもへこたれず、自分が納得するまで改良し続けました。コンピュータ将棋の開発に一番必要なのは、モチベーション維持し続ける才能かもしれません。
- 強くさせようと思ったら、それこそ開発に終わりはない?
そうです。永遠に完成しないんです(笑)。
- とはいえ、モチベーションが保てなくなった時期もあったのでは?
もちろんありましたよ。2年前の将棋電王トーナメントが終わった後は、かなり疲れを感じました。
- 何が原因だったのでしょう?
なんでしょうね…。やはり「終わりがない」ということがあると思います。Aperyはあくまで趣味の位置づけなので、まずAperyに時間をかけ続けることが、果たしていいことなのだろうかという葛藤がありました。
それと、開発を始めた当初はわからないことばかりでいろんなことが勉強になりましたが、4年、5年と続けていくとだいたいのことがわかるようになって、自分なりに課題を見つけてのトライ&エラーを重ねることが必要になる。その時点では、「自分の能力や技術力が上がっているのか」という面で不安になることがありました。
- そうした壁をどのように乗り越えたのでしょうか。
開発から少し距離を置いたりもしましたね。でも結局は、「また勝ちたいな」と思って戻ってきた。「勉強や仕事につながる」というようなつぶしのきく考え方ではなく、純粋に競技として勝ちたいなと。その思いだけじゃないでしょうか。
- 次に目指すのは5月の世界コンピュータ将棋選手権です。
やるからにはもちろん優勝を目指します。Ponanzaが引退して、新しい勢力もたくさん出てきて、僕ももうベテラン。意地を見せたいですね。
- 先ほど「コンピュータ将棋の開発には終わりがない」というお話がありましたが、Ponanzaの開発は終わってしまいました。
あまり勝てていないまま引退しちゃったので、ちょっと複雑な気持ちです(笑)。後を追うように引退するのも何なので、僕は勝ちたいと思えるうちは続けたいと思います。
- 現在は、将棋、チェスなどのAIを活用した知的ゲームアプリを開発しているHEROZ株式会社に在籍し、社業とAperyの開発という二足のわらじを履かれています。平岡さんのように本業の他に打ち込むものを持たれている方やこれから探そうとしている方がいらっしゃると思うのですが、そんな方にアドバイスをお願いします。
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僕は好きで将棋プログラミングをやっていただけですが、気づけばゲームのプログラミングが得意になって、今はそれを仕事にしています。
これだと決めたことがあるなら、迷うことなくやるべきだと思います。
他のことができなくなるという面ももちろんありますが、何かを突き詰められることで得られるものは、かなり大きくて楽しい。だから、まずはやってみてほしいです。
- 平岡 拓也(ひらおか たくや)
- 1985年生まれ、大阪府出身。大阪市立大学応用物理学科卒。初出場した2012年の世界コンピュータ将棋選手権は2次予選敗退。その後着々と強化を進め2014年に同大会で初優勝を果たした。同年HEROZ株式会社に入社し、現在は「ポケモンコマスター」などのAIを活用した知的ゲームアプリの開発に携わっている。陸上、サッカー、ソフトボールなどの経験を持ち、身体を動かすことは息抜きの一つになっている。