基礎から学べる行動ファイナンス 第5回「すっぱいブドウのバイアス」
野村證券金融工学研究センターの大庭昭彦が投資や資産運用の際に人が陥りがちな「バイアス」に関して解説する「基礎から学べる行動ファイナンス」シリーズ。人が投資に成功した後「間違いだらけの行動」をしてしまうことがあります。第5回では、その際に人の心にはどんなバイアスが生じているのかを考えてみます。
「株は簡単」と集中投資へ…
中小企業オーナー社長のCさんは62歳の男性です。跡継ぎにする予定の長男に多くの仕事を引き継いだため、自由な時間とお金ができました。
株式投資をしたことはありませんでしたが、ある時友人に誘われてIPO株式に約100万円投資してみたところ、株価は一気に値上がりし、あっという間に約3倍に到達しました。
この時Cさんは「株は簡単だ」と思い込み、もっと投資してみようという気になりました。そして、実際にいくつかの銘柄に投資してみたところ、どれも成功。特にZ社の株価が見る見るうちに上昇しました。
Z社について良いニュースを頻繁に目にするし、褒めてくれる友人もいたので気に入ってしまい、他の銘柄を売却し、5000万円の余裕資金の全てをこの銘柄だけに投資しました。
実際には悪いニュースもありましたし、身の丈に合わない投資をいさめようとする別の友人の話もあったのですが、Cさんの耳には入りませんでした。
そこからもしばらく株価は上昇。Cさんは「もっと投資すればよかった。損をした」と考えて、余裕資金の全額をつぎ込み、3倍の信用取引を始めてしまいました。
集中投資で失敗、Cさんに生じたバイアスとは
信用取引を始めた途端、Z社の株価は急落。驚いたCさんは株を売る気になりましたが、「株価は再び上がるはずだ」と思い込んで保有続けているうちに、ついに株価は平均買い付け価格の半分になってしまいました。
信用取引の損失はなんと7500万円に膨らみ、手元にある資金の全てを保証金などとして差し入れても足りず、銀行から借金をする羽目になってしまいました。
Cさんの行動は「間違いだらけ」といっていいでしょう。特に「安易に過度な集中投資」をしてしまったことは「すっぱいブドウのバイアス」で説明が可能です。
心理学的には、自分で考えている(認知している)いくつかの事柄の間に矛盾(不協和)があることを「認知的不協和」といい、これを無理にでも解消したくなる感情を認知的不協和バイアスと呼びます。
嫌な話は耳に届きにくい
イソップ物語の中の寓話に「キツネとすっぱいブドウ」があります。キツネはブドウが欲しいのですが、高いところにあってどうしても手が届かないので、「あのブドウはすっぱい」と思い込むようにしてあきらめました。
キツネが「手に入らないものに価値がある」という心理的に都合の悪い状況を解消するため、本当は価値がない(ブドウはすっぱい)という新たな「事実」を心の中で作り出してしまう話です。
再びCさんの話に戻します。CさんはZ社の株式に投資をしてすぐに利益が出たたため、「次も利益が出るはずだ」と思い込むのは自分にとって都合がいいからです。
また、いいニュースやいい評判に注目しやすくなり、悪い話が耳に届きにくくなるため、「こんなに調べたのだから」「こんなに待ったのだから」などと言った株価とは無関係な理由を株の保有を続ける「理由」として持ち続けてしまいます。ここでも直感システムが熟慮システムをゆがめています*1。
バイアスも使いよう?
多くのバイアスの効果同様、認知的不協和バイアスは毒にも薬にもなります。例えば、ダイエットしたいときに、安価で簡単な方法よりも効果で困難な方法の方が結果的に役立つことがあります。
「ダイエット食品がこんなにも高かった」「食欲を抑えることがこれほどつらかった」のだから「きっと効くはずだ。効かないと困る」と考え、別のバイアスに打ち勝つこともあります。バイアスも使いよう、といわれる一例といえるでしょう。
*1 第2回「直感システムと熟慮システム」参照
(KINZAI Financial Plan 2023年5月号掲載の記事を再編集したものです)
本稿は、野村證券株式会社社員の研究結果をまとめたものであり、投資勧誘を目的として作成したものではございません。2023年4月現在の情報に基づいております。
野村證券株式会社金融工学研究センター エグゼクティブディレクター、CMA、証券アナリストジャーナル編集委員、慶應義塾大学客員研究員、投資信託協会研究会客員。東京大学計数工学科にて、脳の数理理論「ニューラルネットワーク」研究の世界的権威である甘利俊一教授に師事し、修士課程では「ネットワーク理論」を研究。大学卒業後、1991年に株式会社野村総合研究所へ入社。米国サンフランシスコの投資工学研究所などを経て、1998年に野村證券株式会社金融経済研究所に転籍、現在に至るまで、主にファイナンスに関わる著作を継続して執筆している。2000年、証券アナリストジャーナル賞受賞。