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2018.03.29 NEW

「大和力」を世界へ―。国境を超え活躍する現代美術家・小松美羽の創作力の源泉とは

「大和力」を世界へ―。国境を超え活躍する現代美術家・小松美羽の創作力の源泉とはのイメージ

大英博物館に作品が収蔵され、海外でも個展を開催するなど、活躍する80年代生まれの現代美術家・小松美羽。確信を抱いて歩んでいく方法を聞いた。

小さい頃からアートがお好きだったのですか?

はい、母の影響が大きかったと思います。私は長野県坂城町の出身なんですが、当時、長野県は東京の次に美術館やギャラリーが多くて、小さい頃から母が色々な展覧会に連れて行ってくれたんです。小さいギャラリーだとノートが置いてたりするんですけど、そこに「いつかわたしのえをかざってください」ってひらがなで書いたりしていました(笑)。

その後、美大に進学されました。

でも、最初から美大に行こうと決めていたわけではないんです。美大を目指すようになったのは高校2年生の時。先生から呼び出されて、「授業で一番面白い絵を描いてるから進路を変えた方がいい」と美大への進学を勧められたのがきっかけでした。それから受験のために予備校に通い始めたり、お昼休みに先生にデッサンを教えてもらったりして、何とか推薦で進学することができたんですが、その時に必死で勉強したおかげで、技術や意識を高めることの大切さが理解できた気がします。

大学時代は、すでにアーティストとして生きていこうと決めていたのでしょうか。

明確な目標があったわけではないのですが、「私は絶対に絵を描いて生きていける」という自信だけはありました。だから、就職はまったく考えていなかった。ただ、所属していた版画研究室の先生から「画家の道に進むとしても、いろいろな経験をしておくことは大事。就職活動をやってみなさい」と諭されまして…色々と受けてみることにしたんです。でも見事に1社も受かりませんでした。人事の方たちの本心を見抜く目ってすごいですよね(笑)。

卒業後はどのように過ごされていたのでしょうか。

アルバイトをしながら制作活動を続けていました。とある百貨店に入っている画廊で働いていた時には、仕事が終わった後に画廊の方がバイヤーさんたちと食事に行くのについていって、そこで作品をみてもらったりもしていました。

制作活動だけでなく、積極的に人脈作りもされていたわけですね。

とはいえ、絵に関しては否定的なことを言われることも少なくありませんでしたね。それでも、自信がなくなるようなことはなくて、心の中では「でもまぁ、大丈夫でしょ」と思っていましたけど(笑)。「この人がダメなら、次の人に見てもらおう」みたいな感じでしたね。その後、縁あって、いま一緒に活動させてもらっている「風土」の方たちと知り合い、現在に至ります。

そうした自信の源は何だったとお考えですか?

少し神秘的な話になってしまうんですが、小学生の頃に見た夢があるんです。大人になった自分が、絵の世界で活躍している夢。その中では自分の姿がものすごく鮮明にみえていて、「絶対、現実になる」と思えました。それを信じてとにかくやり続けてきた、というのが自信の正体かもしれません。

「風土」は、「日本の文化・芸術を世界のスタンダードにすること」を目指している会社だと伺っています。

はい、日本の文化・芸術の発展、伝統的なものを守ることを目的に作られた会社です。活動する中で、博多織や有田焼など日本の伝統工芸に携わっている方々と触れ合う機会も多く、そうした方々に刺激を受けると同時に、自分の表現の幅を広げていきたいと思うようにもなりました。

小松さんの作品には、「伝統」と「革新」がともに息づいているように感じます。

そう言っていただくことも多いのですが、実は自分自身の制作において「伝統」ということはあまり意識していないんです。「伝統」って、必要なものをきちんと作ろうとして技術や思いを高めていった結果として生まれるものであって、あえて意識するようなことではないように思うんです。そもそも、100年とか長い時間が経っているから、「伝統」と呼ばれているだけで、生まれた当時は「革新的」なものだったかもしれませんよね。実際、有田に行って職人の方たちとお話ししたりすると、「常に革新を求め続けてきた」という歴史や思いを強く感じることができます。

現在では国境を超えてご活躍されていますが、ご自身ではターニングポイントはどこにあったとお考えでしょうか?
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実をいうと、私は自分自身に「覚醒→進化→達成」という3年周期で生きることを課しているんです。そういう意味では、3年に1回、ターニングポイントを自発的に作るようにしていますね。だから、のんびりもおどおどもしていられないんです(笑)。何かを達成しても、すぐに「次」が来る。

2015年には、有田焼の狛犬作品が大英博物館に収蔵されました。作品が生まれた背景について教えてください。

「英国チェルシー・フラワーショー」で何度もゴールドメダルを獲得している庭園デザイナーの石原和幸さんとのコラボレーションがきっかけで生まれた作品です。当時(2014年)、石原さんは「江戸の庭」という作品で7度目のゴールドメダルを狙っていたのですが、そのための守護獣を庭に棲まわせたいとリクエストをいただいて。石原さんも長崎出身ですし、私も佐賀の有田にご縁があったので「じゃあ有田焼で狛犬を作らせてください」と提案しました。

その結果、見事にゴールドメダルを獲得された。その後、どのような経緯で作品が大英博物館に収蔵されることになったのでしょうか?

チェルシー・フラワーショーの後、ロンドンで開催された「ハイパージャパンフェスティバル2015」にも作品を出展したのですが、それがきっかけで「この子(※狛犬)をイギリスのしかるべきところに収めたい」と思うようになったんです。イギリスの神獣であるグリフォンと狛犬はルーツがつながっていますから。その時、ご縁があって在英国日本国大使館の方と現地で交流することができ、「大英博物館のキュレーターの方をご紹介しますよ」というお話をいただきました。

そこからトントン拍子に話が進んだのですか?

日本に帰ってから一度だけ連絡があったんですが、それっきりで…。「やっぱりダメだったのかな」って思っていました。でも、1カ月くらい経った頃に大英博物館の方から直接作品収蔵の連絡をいただくことができたんです。あきらめていたので、最初は「ドッキリかも」とさえ思いました(笑)。後で聞いて知ったんですけど、作品収蔵のための審査にはものすごく時間がかかるみたいですね。

美術館ではなく博物館への作品収蔵という点について、何か感じることはありますか?

博物館に収蔵されるということは、その作品が「歴史につながるもの」だと認められたということなので、本当に嬉しかったですね。

小松さんが制作活動においてモットーにされていることを教えてください。

「甘えない」ということを肝に銘じています。「画家だから変人でいい」とかそういう考えはまったくありませんし、「絵が描けないから筆を折る」みたいに途中で投げ出すことは絶対にしたくない。私を信じてくれているチーム、ギャラリーやコレクターの方たちを裏切らない活動をしていきたいですね。

色々とお話を聞かせていただいて、「風土」というチームで活動されていることも、小松さんに大きな影響をもたらしているのではないかと感じます。
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それは間違いありません。エネルギーの強い人たちが集まって、前を向いて一緒に歩いていけているということは、本当に素晴らしいことだと思います。みんな絶対におごらないんですよ。過去を振り返って労いあったりせず、「次はこうしよう」と常に先の話をして高め合っている。このチームで活動できていることは、自分にとっての大きな強みですね。

それでは、最後に今後の目標を教えてください。

「和」を「大和」にしていくことですね。私は「和」というものを、異なる文化や物事を結びつけてまとめあげていくための方法論だととらえているんです。その「和」によって世界中の人たちや文化とつながっていき、大きな「和」、つまり「大和」へと昇華させていくこと。それが目標ですね。いまはその途上ですけど、絶対に達成できることだと思っています。

私たちはいま、これまでにないような変革の時代を生きています。小松さんのように確信を抱いて歩んでいくためのアドバイスはありますか?

まずは自分の“役割”を見つけること。それが大事だと思います。私の場合は、人の魂に影響をあたえて、その人も自分もお互いに成長し合えるような表現を生み出すことが自分の“役割”だと思っています。例えば父親の方だったら、子供を成長させることが“役割”かもしれないですし、社長の方だったら社員の方たちのために会社を成長させることが“役割”かもしれません。

“役割”に気づくための秘訣があれば教えてください。

「内に引きこもらず人と会うこと」でしょうか。 “当たり前”だと思っていることの有り難さをはたと気づかせてくれる人たちや、お互いに成長して高め合っていきたいと思えるような人たちとの関わりのなかにこそ、“役割”があるのだと私は思っています。

小松 美羽(こまつ みわ)
1984年長野県生まれ。女子美術大学卒。20歳の頃に制作した銅版画「四十九日」はその技術と作風が高く評価を受け、プロ活動への足がかりとなる。近年は銅版画の他に、アクリル画や有田焼など制作の幅を広げ、死とそれを取り巻く神々、神獣、もののけをより力強く表現。2014年には上田市立美術館にて個展開催の他、出雲大社へ作品を奉納。庭園デザイナー・石原和幸氏とのコラボレーションにて「チェルシー・フラワーショー」(イギリス)へ有田焼の狛犬作品を出品し、ゴールドメダルを受賞。翌年、出品作の狛犬作品が大英博物館へ収蔵され、国際的に注目を集める。著書に『世界のなかで自分の役割を見つけること――最高のアートを描くための仕事の流儀』(ダイヤモンド社)があり、2018年秋には日本での個展も予定されている。
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