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2020.01.09 NEW

金儲けだけの企業はいらない! 時代を超越し、現代ビジネスにハマる渋沢栄一の教え

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「企業の社会的責任」や「SDGs」など、近年企業の評価指標が増え、単にたくさん稼ぐ企業が生き残れる世界ではなくなってきた。もちろんそれは時代の成り行きとして正しいといえるだろう。

その意識が高まれば、経営者を悩ませるのが「社会貢献をしながら、いかにビジネスを成長させ続けるか」という課題だ。

一会社員でも「数字のためだから仕方ないけど、本当にすべきことは違うんだよな……」と、利益のために自分の理念を捻じ曲げざるをえない苦痛を味わったことがある人も多いのではないだろうか。

多様な価値観が混在する現代が抱える課題に対し、大きな示唆を与えてくれる一冊がある。渋沢栄一の『現代語訳 論語と算盤』(筑摩書房)だ。

日本実業界の父・渋沢栄一

著者の渋沢栄一(1840~1931年)は、2024年度から発行が予定されている新一万円札の「顔」に選ばれた。名前だけでも耳にしたことがあるだろう。

彼は、かのピーター・ドラッカーの著書にも名前が挙がる希代の実業家で、ノーベル平和賞の候補にも選ばれたことがあるほど影響力がある人物だった。

1873(明治6)年に日本初の銀行を開業し、いまなお続く名だたる大手飲料メーカーや製紙会社など、約470社もの企業の創立・発展に関与した渋沢は、「日本実業界の父」と呼ばれている。渋沢栄一がいなければ、今の日本経済はここまで発展しなかったといっても過言ではない。

原本である『論語と算盤』は、渋沢が「日本社会とそこで生きる者たちの今後のあるべき姿」について、自身の考えを論じた講演の数々をまとめた一冊である。

現代語訳された本書を手に取り、現代にも通用する渋沢の思想を吸収しておきたい。

“道徳と経済”「かけ離れたもの」を一致させる

「論語」と「算盤(そろばん)」という2つの単語が並ぶ本書のタイトルは、シンプルながら渋沢の主張を余すところなく表現しているものだ。まずはそれぞれの単語が意味するところを確認していこう。

1つめの「論語」は、言わずもがな、紀元前552年に生まれた中国の思想家である孔子と、その弟子たちの言行録のこと。人のあるべき姿や歩むべき道筋など“道徳”を説き、含蓄に富んだその内容は、国境を超えて後世に大きな影響を与えてきた。

「論語」自体を読んだことがないとしても、「温故知新」や「過ぎたるはなお及ばざるが如し」、「己の欲せざる所は人に施すなかれ」といった四字熟語や故事成語を通じて、誰もがその教えの一端に触れていることだろう。

渋沢はその内容を「社会で生きていく上での絶対の教え」「もっとも欠点の少ない教訓」と評している。誠実であり、良心的であること。倫理的であり、道徳的であること。それこそが渋沢栄一という人物が自らに課した絶対の行動指針なのだ。

もう一方の「算盤」とは、経済、つまるところお金やそれに付随する営為を意味するものだ。幕末に徳川慶喜の家臣であった頃、ヨーロッパに渡航し、かの地の繁栄とそれを成立せしめた資本主義システムと商人の力に触れ、大いに感銘を受けた渋沢は、経済の重要性をよくよく理解していた。「日本の発展、近代化には、商売の振興が不可欠」。それが当時の渋沢の認識であり、解決すべき課題であった。

その後、明治維新を経て、新政府にその才や経験を買われた渋沢は大蔵省の役人となるが、「ここでは課題解決が果たせない」と感じたことで退官。民間の立場から実業を営み、日本の発展に寄与していくことを決意する。以降の偉業は先述の通りだ。

「論語」も「算盤」も、渋沢にとっては非常に重要なものであった。だが、当時の社会において、その両者は「かけ離れたもの」であったと渋沢は述べる。商売においては、学問は不要なもの(それどころか害になるもの)とみなされていたし、論語においては「孔子は富と地位に批判的」という間違った解釈が伝わっていたからだ。そうした中、渋沢は世間の既成概念に抗おうと努めた。

経済は重要だが、ただ己の利益を追求することのみを目的にしてはならず、そこには道徳的観点が必要だということ。孔子が嫌っていたのは「正しい道理をともなっていない富や地位」であり、渋沢は「道徳と経済は決して相容れない存在ではない」ということを説き、両者を一致させることの必要性を訴えた

ところで、なぜその両者は一致させなくてはならないか。

“社会と個人”「豊か」になるために必要なこと

渋沢は、その最たる理由として社会の持続性を挙げる。もし、道徳や倫理なく、誰しもが己の利益のみを追求したらどうなるか。つまり、「論語」がなく「算盤」しかなかったら、どのような事態が生じるのか。その先に人々が最終的に行きつくのは、孔子の後継者である孟子が危惧したような「人から欲しいものを奪い取らないと満足できなくなる」という心理状態だろうと渋沢は悲観する。

無論、そんな万人の万人に対する闘争という様相を呈する社会が長続きしないことは火を見るよりも明らか。そこに歯止めをかけ、真に豊かな発展を実現するためにこそ「論語」は必要というわけだ。

また、そもそも人が富を築いたとして、それが自分1人のものと思うのは甚だしい間違いだというように渋沢は断言する。人はただ1人では何もできず、国家社会があってはじめて、生きることや商売することができる。それを思えば、富を手にする時点で、人は社会の恩恵にあずかっているといえる。ならば、そのお返しとして貧しい人を救う事業などを行い、できるかぎり社会の手助けをしていくことは至極当然の義務――。それが渋沢の考えなのだ。

このように、渋沢は再三にわたり道徳の必要性を強調しているが、人が自分の利益を求めること自体を否定しているわけではないし、道徳のみでは人は豊かになれないとも述べている。

自己の利益を完全に度外視し、社会の利益のみを追求すること。渋沢によればそれは「現実に立脚しない道徳」なのであり、「国の元気を失わせ、モノの生産力を低くし、最後には国を滅亡させてしまう」という終局を招くことになるのだそうだ。

「論語(道徳)」だけでも駄目だし、「算盤(経済)」だけでも駄目。大切なのは、どちらに偏ることなく両方の視線を持ちながら、社会と個人の豊かさを目指し邁進すること

道徳なき資本の暴走が生んだ金融危機を経て、企業の社会的責任やSDGsが声高に唱えられる現代。渋沢の言葉は当時と変わらない現実味を持って、現代の私たちの心を捉える。

社会が、そして個人が豊かになるために、どのように働き、生きてゆけばよいのか。これから歩んでいく未来のため、その問いに淀みなく答えられるようにしておくべきだろう。なぜなら、現代の社会では特にこの“論語”と“算盤”を一致させることが求められているからだ。それは、この渋沢栄一が新一万円札の顔に選ばれたことが物語っている。

『現代語訳 論語と算盤』のイメージ

■書籍情報

書籍名:『現代語訳 論語と算盤』

著者 :渋沢 栄一(しぶさわ えいいち)
1840(天保11)~1931(昭和6)年。実業家。約470社もの企業の創立・発展に貢献。また経済団体を組織し、商業学校を創設するなど実業界の社会的向上に努めた。他の著書に『論語講義』などがある。

訳者 :守屋 淳(もりや あつし)
1965年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。大手書店勤務後、中国古典の研究に携わる。

※本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです。

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