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2019.05.30 NEW

外資コンサルから、知識ほぼゼロの日本酒ベンチャーへ―稲川琢磨がつくる日本酒の未来

外資コンサルから、知識ほぼゼロの日本酒ベンチャーへ―稲川琢磨がつくる日本酒の未来のイメージ

外資系コンサルタント会社を退職し、日本酒業界に参入したWAKAZE代表取締役CEOの稲川琢磨。日本酒に関しては、まったくの“素人”だったにも関わらず、「日本酒を若い世代や海外に広げたい」という熱い思いを抱き、さまざまなチャレンジを続ける彼の仕事観、人生観に迫る。

“永遠の素人であれ”というマインドセット

日本酒で起業しようと考えたきっかけからお聞かせください。
ボストン・コンサルティング・グループ(以下、BCG)に入社した年の冬、たまたま入った寿司屋で飲んだ日本酒がすごくおいしかったんです。香りも味わいも、大学時代に嫌というほど飲まされた日本酒とはまったく違う。そのときに「日本酒ってこんなにおいしいんだ」と驚きつつ、「これよりおいしい日本酒を造ってみたい」「自分なら造れるんじゃないか」と思ったのが、すべてのはじまりでした。
「おいしい」で終わらず、「自分で造ってみたい」という発想になるのがすごい(笑)。酒造りにはもともと興味があったのでしょうか。
大学院時代に留学していたフランスでの経験が大きいのかもしれません。フランスでは質のいいお酒がとてもリーズナブルに飲めましたし、バカンス中にはボルドー地方を旅行して、ぶどう畑やワイナリーを見学したりもしていました。そんな環境にいたせいか、「この日本酒は酸味が強いけれど、これをもっと際立たせたらどんな味わいになるんだろう」とか、「ワイン市場に切り込める日本酒を造るとしたら、どんなものがいいんだろう」といったアイデアだけは持っていました。
起業しようと思い立ってから、どのように行動されたのでしょう?
WAKAZEの日本酒のイメージ

「新しい日本酒を造りたい」という話をあちこちでしていたら、面白がってくれる仲間が集まったので、まずは週末起業のような形でプロジェクトを立ち上げました。仲間の一人の実家が酒蔵だったので、最初の頃はそこでマーケティングのお手伝いをしたり、日本酒ビギナーでも親しみやすい商品を造ったり(委託醸造)していました。その後、経済産業省が主催する日本酒の海外進出を促すプログラムで補助金を受けることができ、フランスへの輸出ルートもできたので、会社をやめて本格的に起業することにしたんです。

元々、日本酒には詳しかったんですか?
いえ、日本酒に関してはまったくの素人でした。それこそ、自分たちで日本酒を作り始めたときですら、吟醸酒、純米酒といった分類すらよくわかっていなかったような状態です(笑)。
それは驚きました。
僕のマインドセットの1つは「永遠の素人であれ」。数えきれないほどのベンチャーが生まれては消えていますが、それなりに成功を収めている創業者って、その分野の素人が多いように感じていたんです。大切なのは知識や経験ではなく、素人だからこそ思いつくアイデアやコンセプト。今は酒造りも経験しましたし、関連する学術論文にも目を通しますが、経営者として、飲み手の気持ちを常に理解できる人間でありたいと考えています。

新たなチャレンジばかりで、失敗の連続だった

創業は2016年1月。どのようなチャレンジからはじまったのでしょう。

まずは、クラウドファンディングで資金を調達し、同じタンクで季節に応じて違うお酒を提供する「WAKAZE四季酒」という商品を手掛けました。春は生酒、夏はスパークリング、秋は秋あがり、冬はワイン樽熟成という具合。

でも、結果は散々で1,000本しか売れませんでした……。僕たちは酒蔵に醸造を委託し、できあがったお酒を買い上げてから販売するという形をとっているので、どうしても値段が高くなってしまう。だから、それだけの付加価値を証明しないと買ってもらえないんですよ。

いきなり壁にぶつかってしまった?
商品としてはおいしかったし、クラウドファンディングの成果も上々だったのですが、明確な付加価値をつけることができなくて、行き詰まってしまいました。それで、一旦環境を変えて商品開発に集中しようと思い、山形県鶴岡市に活動の場を移すことにしたんです。
急に山形に移って事業を立て直すなんて、いろいろご苦労もされたのでは?

何より冬がきつかったです(笑)。鶴岡はすごく雪が降る地域なので、雪下ろしのときに屋根から落ちたり、吹雪で車が動けなくなったり、スリップして雪の壁に突っ込んだり。雪がひどい日は外にも出られないし、1年目はとにかく気が滅入りましたね。

事業のほうでは、商品開発に協力してくれる酒蔵を探すのに苦労しました。「ワイン樽熟成の日本酒を造ろう」と決めていたので、酒蔵に出向いてそのお話をさせてもらうのですが……。なかなかいい返事がもらえない。当たり前ですよね、ツテもなければ、信用や信頼もないんですから。「BCGにいました」と言っても「予防注射?」と返されることも少なくなかったですからね(笑)。

でも、そのおかげでBCG出身という変なプライドがなくなったのはすごくよかったなと思います。

その状態から、どうやって委託醸造先を見つけたのですか?
よく行っていた駅前の飲み屋のマスターと仲良くなって、「この酒蔵さんがいいと思うんだけどどう?」と言ったら、マスターが「いいかもね、新しいことするの好きだよ」って。その方に知り合いの酒蔵を紹介してもらえることになったんです。1回目は渋い顔をされたんですが、あらためて訪ねてみたら「実は、面白いと思っていた」と言ってもらえて、すんなりと委託醸造の話が進みました。
結果的に山形の鶴岡と東京では、どのような違いがありましたか?
稲川 琢磨のイメージ

実は、食の領域のベンチャーは東京でやるメリットがあまりないんです。鶴岡市はベンチャーに対する補助金があって、先端技術系のベンチャーがかなり集まっています。

それに東京と違って行政との距離も近い。鶴岡市の第一回ビジネスプランコンテストで優勝して。そこから鶴岡市内に普及して、WAKAZEを知ってくれる人が増えました。あのまま東京にいたら絶対うまくいかなかっただろうな、と今でも思っています。

“プロダクトアウトではなく、マーケットインの考え方が大事”

これまでのチャレンジの中で、前職の経験は生きましたか?

前職の経験が生きた点をあげるとすれば、「ヒアリング力」でしょうか。
日本酒業界は基本的に、「こういったものを作れば消費者は受け入れてくれる」というプロダクトアウトの考え方が主流ですが、僕自身はマーケットインのやり方も大事にしたかった。

だから、WAKAZEの最初のヒット商品となった、洋食とも相性のいいワイン樽熟成の日本酒「オルビア」を作る際も、日本酒に求めるものを多くの方にヒアリングして、100ページにわたる資料を作成しました。正直、内部資料にそこまで手をかける必要はないんですが、こだわったからこそ商品がヒットしたと自負しています。その点は、BCG時代によくやらされていた「1カ月間でヒアリングメモを100本作る」という課題のおかげです。

2018年7月から三軒茶屋にオープンした、自社醸造所と飲食店が一体となった「Whim SAKE&TAPAS」も、マーケットインの象徴です。

僕らはこの醸造所で4つのタンクを年間12回転させて、異なるレシピで48種類の酒を仕込むことを目指しています。出来上がった酒は併設の飲食店で提供し、どの種類が反応がよかったのかをその場で見ることができ、それを委託している酒蔵で量産することができる。いわばここがR&Dの拠点という感じです。

オルビアはワイン樽で熟成させた日本酒ですが、ワイン樽を提供してくれるワイナリーを探すのも大変だったとか。

最終的には、会社創業メンバーのツテをたどって何とかなりましたが、長野、山形、山梨と相当数のワイナリーを回ってもすべて断られ、何とか決まりかけたワイナリーからはドタキャンされて、という状況でした。

いまは、フランスのパリに酒蔵を作るために動いているところなんですが、そちらでも30件くらい回ってようやく見つけた物件が、いざ竣工という段階でキャンセルを言い渡されるという事件がありました。結果、さらに良い物件と契約できましたが、新しいプロジェクトを始めるたびに、何かしらのトラブルがありますね(笑)。

トラブルに見舞われても前に進み続けている。その強さはどこからきているのでしょう。
稲川 琢磨のイメージ

「10回振って1回当たれば上出来。だったら、3回くらい振ったところで当たらないのは当たり前だ」という考え方がベースにあるんです。学生時代に打ち込んでいたサッカーでも、とりあえずシュートを打ちまくっていたし、BCG時代も10個の仮説のうちの1つが当たればいいみたいな、ガッツで乗りきるタイプでした。

おかげで上司には「お前はそんなに筋はよくないけれど、ガッツと気合と根性があるからいい」と言われていましたね。ガッツも気合いも根性も同じ意味だから、3つ並べたわりには大して褒められていないんですけど(笑)。

オルビアの後に発売された、「フォニア」(発酵の段階でゆずや山椒など和のボタニカルを加えた革新的な酒)の売れ行きも順調だと伺っています。今は一息つかれているところでしょうか。
それが、なかなか一息つくタイミングがないんです。オルビアを売り出したころはフォニアの商品開発で失敗を繰り返していたし、フォニアが売れるようになったときは、Whim SAKE&TAPASを始めるためにドタバタでした。水泳でいうと常に潜っていて息継ぎができていないような状態ですね。でも、自分にとって「楽しい」と思えることだから息継ぎなしでも続けていられます。
ピーク時に比べて日本酒の出荷量、消費量が減少しており、業界としては厳しい状況にあると感じます。WAKAZEはその中でどのような役割を果たしていきたいですか?
ベンチャーが出すべき価値と、産業の中心にいる人たちが出すべき価値は違うというのが、僕たちの基本的な考え方。伝統としての日本酒を残すことは中心にいる方々にお任せして、その既存のマーケットを奪うのではなく、これまでにないマーケットを生み出すことがWAKAZEの使命だと思っています。フランスに酒蔵を作ってフランスの人たちに酒を飲んでもらおうとしているのも、そうした活動の一部です。
今後の展望をお聞かせください。
まずはフランスの酒蔵を軌道に乗せること。そして、フランスからヨーロッパ全体、アメリカにも日本酒を展開し、WAKAZEを世界に誇れるものにしていくことです。柔道が「JUDO」になったように日本酒も「SAKE」となり、これからは海外での醸造が当たり前になってくるはず。「日本の日本酒こそが最高」という価値観が薄れる時代になったとき、特別な存在感を発揮できるようになっていたいですね。
稲川 琢磨(いながわ たくま)
1988年、東京都出身。慶応義塾大学理工学研究科 修士課程修了。ボストン・コンサルティング・グループを経て2016年1月にWAKAZEを創業。これまでに出会った最高の一杯は、ロンドンで飲んだクラフトジン。「まだ究極の一杯には出会っていないので、それを作り出したいです」。
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