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2020.02.27 NEW

ビジネスをゼロから作れる起業家になる―ベルフェイス代表・中島一明の破天荒な半生

ビジネスをゼロから作れる起業家になる―ベルフェイス代表・中島一明の破天荒な半生のイメージ

営業に特化したWeb会議システム「ベルフェイス(bellFace)」。タクシーや電車でよく流れている「ヒラメ筋」のCMに、見覚えがあるビジネスマンは多いだろう。ベルフェイスは、「訪問するのが当たり前」という営業の概念を覆す「訪問しない営業(インサイドセールス)」を提唱し、導入実績はリリース4年で1,200社と、いま急激な成長と遂げる注目の企業だ。

そんなベルフェイスの創業者であり、代表取締役の中島一明は、「3カ月で高校中退」「世界中を旅しながら、200もの事業計画書を作成」「興味本位で始めた“社長インタビュー”で年商15億」「社長退任」など、ベルフェイス創業前だけでも、ユニークかつ破天荒なエピソードを多々持つ人物である。

前編となる今回は、彼がベルフェイスを立ち上げるまでのキャリアについて語ってもらった。

15歳で「ビジネスをゼロから作れる起業家になろう」と決めた

まさに波瀾万丈の人生を送られてきた中島さんですが、もともとはどんなお子さんだったのでしょう?
中島 一明のイメージ

小学生のときは、とにかく乱暴な子でした。学級会の議題はいつも「中島くんが叩く、蹴る」で、「中島くんにパンチをさせない会」という組織があったほどです(笑)。でも、小学校高学年になると「成績は中の上、スポーツはそこそこ」みたいな普通のキャラクターに落ち着いて。中学生の頃は「そろそろ自分がどう生きて行くかを考えなければいけない」と、ビジネス書や哲学書を読み漁っていました。

やんちゃな少年が中学生になったら哲学書を読んでるなんて(笑) ずいぶん振れ幅の大きい少年時代ですね。起業家を志したのも中学生の頃だったとか。

当時流行っていた『金持ち父さん 貧乏父さん』(筑摩書房)シリーズを読んだことがきっかけでした。ただ、第一作を読んだ時点では、起業家ではなく投資家になろうと思ってたんですよ。投資家って、なんとなく楽そうだし、イケてるなと(笑)。

ですが、シリーズを読み進めていったら、「投資家にもレベルがある」と書いてあったんです。「究極の投資家は、人が投資したくなるようなビジネスをゼロから作れる人」、つまり「起業家」だと。それを読んで、「究極の投資家になるために、ビジネスをゼロから作れる起業家になろう」と決めたのが15歳くらいですね。

投資家はイケてると思いつつも、「自分が事業をやったことがないのに、人の事業を判断して投資することなんてできないよな」という気持ちがあったんですよ。起業家になるという思いが強かったので、進学したばかりの高校を3カ月で辞めました。

高校を中退してからは、どんな生活を送っていましたか?

起業家になるにあたって、まずは「会社で働く」という経験が必要だと思ったんです。人材不足ですぐに雇ってくれる地元の土木会社に入社して、そこで2年半くらい働きました。あとは、いろんなバイトを転々としましたね。ネット回線の飛び込み営業をやったり、パン工場でひたすらパンを並べたり、引っ越しトラックに乗ったり。ただ、その間は常に「何をビジネスにしようかな」ということは考えていました。

世界中を旅しながら、200枚の事業計画書を書いた

実際に起業されたのは21歳のとき。何かきっかけがあったのでしょうか。

19歳のころ、そろそろ具体的なビジネスを考えようと思って、世界中を旅しながら毎日1枚ずつ事業計画書を書くという目標を掲げて、自分に課すチャレンジをしました。A4の紙の裏表に、事業アイデア、顧客メリット、競合、社会的な影響、予想される障壁などをびっしり書くんです。移動で時間がとれない日は翌日に2つ。うんざりするんですけど、やると決めたことはやらないと気持ち悪くもあるんですよね。

7~8カ月くらいかけて東南アジア、中近東、ヨーロッパ、アメリカを回ったんですが、計画書は200枚くらいになりましたね。そして日本に戻った翌年、そのプランをもとに、21歳の時に地元の福岡で起業しました。

日本に戻ってからの起業は、最初からうまくいきましたか?

それが、とにかく失敗の連続で……。最初は、携帯電話向けのコンテンツ制作の会社を立てて、その頃には珍しかったバイノーラル録音(人間の頭部や耳を模したダミーヘッドを用い、音が実際に鼓膜に届く状態で記録する録音方式)を使った「怖い話」のコンテンツを作っていました。いざ各携帯会社に企画を持ち込んでみたら、「怖い話はニーズがない」と一瞬で断られましたね(笑)。

中島 一明のイメージ

その後も、ストックしてあるアイデアの中からいくつも事業を立ち上げてみたんですが、全然うまくいきませんでしたね。今なら「成長する市場を選ぶべき」とか、いろいろ考えられるんですけど、当時はそんなことすら思いつかなかったんです。

あまりにうまくいかないので、うまくいっている社長の話を聞いて回るようにしたんです。それがキッカケで「社長.tv」というメディアを作ることになりました

社長のインタビューを掲載している動画サイトですね!

最初は興味本位で、ただ個人的に会いに行って数々の社長たちに話を聞いてただけなんです。そのうち、会いに行くだけだと内容を忘れてしまうからとビデオに収めるようになって、「自分だけで見るのももったいないから」とインターネットで動画を無料公開するようになりました。

そしたら、掲載された社長さんから「この動画が採用に役立った」とか「掲載されている社長同士でつながりが生まれた」というポジティブな声をいただくようになりました。地域密着型のメディアだったことが、どうやら社長たちの心をくすぐったんです。

「これはビジネスにできるんじゃないか」と思って、企業から月額の掲載料をいただくスタイルに切り替えたことで、ようやく私を含む3人の創業メンバーが、バイトをしなくても食べていけるようになったんです。その後は、福岡に留まらず、全国に展開していきました。

全国展開も順調にいきましたか?

福岡では、私がすべての社長にインタビューしていましたが、全国展開となればそうはいかないので、フランチャイズ方式にしたんです。加盟金をいただければ、その都道府県での展開を任せますよ、と。そしたら、地元のBtoB企業の社長とのネットワークにメリットを感じた保険や広告の代理店が、多数手を挙げてくれました。

ただ、フランチャイズ方式には問題もありました。掲載される動画の本数がまったく増えなかったんです。原因は2つありました。

1つは、一件あたりの掲載料が安すぎてビジネスにならなかったこと。もう1つは、本気度の違いです。

本気度の違いとは?
中島 一明のイメージ

このサービスを本業としている我々と違って、フランチャイズ企業はこのサービスを本業のドアノックとしかとらえていません。だから、コンテンツ制作そっちのけで、「保険どうですか?」みたいな話ばかりしていたみたいです。これはどうにかしなければと思って、営業研修を行ったりしたのですが、残念ながらあまり響きませんでした。ここで事業展開の難しさを痛感しました。

「社長.tv」で試行錯誤した“完全リモート営業”が、ベルフェイスの起源に

どうやってその壁を乗り越えたのでしょう?

保険や広告の代理店よりも、こちらの意図を汲んでしっかり動いてくれるアルバイトを雇ったほうがまだいいと思い、福岡と東京に専門のコールセンターを設置して、電話で社長の方々に営業を行う方式に切り替えました。電話でサービスを説明して、郵送とファックスで契約書をやり取りするといった具合に、クロージング(成約)までを完全リモートで行うんです。

まさに、いまベルフェイスが武器としている“リモート営業”ですね!

当時は「テレセールス」という表現が主流でしたね。ただ、これも波に乗るまでは大変でした。一度も会ったことがない人間が、電話口で「有料でこのサイトに載りませんか?」と言うわけですから、「怪しい」と思われても当然です(笑)。そこから試行錯誤を重ねて契約率を上げて、社員80人、年商15億まで伸びたのが27歳のころ。「福岡発の新進企業」みたいな感じで、少しずつ全国的な注目を集めるようになりました。

そんな成長を続ける「社長.tv」を、中島さんは29歳で他人に譲る選択をされていますが、どのような経緯があったのでしょうか。

売り上げも伸び、社員も増えたことで、本社機能を福岡から東京に移転させました。中学生のころに、「イケてる」と憧れた投資も始めました。でも、そうやって調子に乗ってお金を使っていたら、「このままだと会社がつぶれそう」というところまで資金繰りが悪化していったんです。

その時点では、コストを削減し、人員を整理し、あちこち駆けずりまわって資金を調達して、なんとか持ちこたえることができていました。とはいえ、うちに入社してくれたばかりの新卒社員に自主退職の話をしなくてはいけなかったときは、世界を旅していたときに感じた生死の辛さとまた違った辛さを感じました……。

中島 一明のイメージ

ですがその後、いろいろ調整してなんとかなったタイミングで、今度は株主から代表取締役の退任を要求されてしまいました。20代最後の年をああいう形で迎えるとは思ってもみませんでしたね。

これまでの人生の中で、一番の挫折といえるでしょうか。

そうなりますね。世界中を旅したときに何度も危ない目にあったので、自分はどんなことがあってもへっちゃらだと思っていたんです。でも、「経営者がお金を失うのは、生死とはまた違った苦しさがあるんだな」と思い知らされました。

ただ、自分が解任されたことに関しては、「きついけれど、まあしょうがないか」程度のダメージでした。なんとなく予想はしていて、リモート営業の可能性を感じていたので、次にどんな事業をやるかを考えて始めていて、信頼できる社員が「次の会社にもついていきます」と言ってくれていましたから。おかげで、解任された当月にベルフェイスを創業することができました。

ベルフェイスを創業するまでだけでも、まさに波乱万丈なキャリアを持つ中島一明。続く後編では、ベルフェイスが軌道に乗るまでの苦労と、ベルフェイスを成功に導いた戦略について話をうかがう。

中島 一明(なかじま かずあき)
1985年生まれ。兵庫県出身、福岡県育ち。21歳のときに株式会社ディーノシステムを創業し、経営者インタビューを配信する動画メディア「社長.tv」を立ち上げる。2015年にはベルフェイス株式会社を創業し、2020年から本格的に世界進出へ動き出す。
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