夏目漱石のために作られた料理「洋風かきあげ」を、老舗の洋食店で味わう

2019年8月14日

近代化が急速に進みゆく時代における人々の生きざまや心のありようを、深い洞察力と類い稀なる筆致により描き出し、現代へと続く日本近代文学の礎を作った作家、夏目漱石。学生時代に教科書などでその作品に触れた経験がある人も多く、まさに国民的作家と呼ぶにふさわしい存在だ。しかし、その生い立ちや生きざま、ましてや食の嗜好までとなると、さほど知られていないのではないだろうか。

今回は、食に対しても並々ならぬ思いを持っていた漱石の足跡をたどり、1907年創業の洋食店「松榮亭(しょうえいてい)」で、“彼のために発案された”といわれるメニューを味わってみた。

国民的作家・夏目漱石の“食”に対するこだわり

夏目漱石がこの世に生を受けたのは、明治時代が始まる前年の慶応3年(1867年)。急速な近代化が進み、西洋から新しい価値観が流れ込んでくる中で育ち、学び、大正5年(1916年)にその生涯を終えるまでの間、数々の名作を世に残した。

猫の視点を借り人間社会を風刺的に描いた『吾輩は猫である』や、愛媛の小学校を舞台とした痛快な勧善懲悪劇『坊っちゃん』。近代人が内に抱える葛藤や孤独を精緻に描いた『こころ』など――。さまざまなスタイルや観点から近代社会を生きる人間の生きざまや心のありように迫った漱石の作品は、世に産み落とされて1世紀以上の時を経た今も、私たちに多くのことを教えてくれる。

そんな漱石が、生涯を通じて“強い思い入れ”を持っていたものの一つが食であった。漱石の妻が残した回想録によると、漱石は胃弱だったにも関わらず、アイスクリームや汁粉、羊羹といった甘いものに目がなく、また、こってりとした油っこいものも大好きだったという。

稀代の文豪が「大の甘党だった」というのは少し意外だが、晩年、胃を患っていた漱石の身体を気遣った妻が羊羹を隠したのだが、羊羹が食べたくて仕方がない漱石は、子どものように家中の戸棚を必死で探し回ったというから筋金入りだ(結局は、そんな父をかわいそうに思った娘がそのありかを教えてしまったという)。

さて、今回紹介するのは、“食べること”が大好きな漱石のために、当時の名料理人が生み出した一皿。東京・神田淡路町にある1907年創業の洋食店「松榮亭」の「洋風かきあげ」だ。

1907年創業の老舗で、文豪が食した一皿を味わう

建て替え後も失われない老舗の風格

「松榮亭」があるのは、かつて連雀町と呼ばれていたエリアの一角。昔ながらの風情を残す街並みは、ただ歩いているだけでノスタルジックな気分を呼び起こしてくれる。このあたりは漱石との縁もあさからぬ場所で、5分ほど歩けば『それから』に登場する建築物や、“初恋の女性と出会った場所“とされる眼科にたどりつく。その他にも多くの名所があるので、「松榮亭」を訪ねる際の散歩コースとして歩いてみてはいかがだろうか。

16年前に建て替えられたという「松榮亭」は、老舗ながらどこかモダンな佇まい。1907年の創業を誇らしげに伝えるエンブレムを横目にのれんをくぐれば、居心地のよさそうな空間が待ち受ける。

店内を見渡してみると、今も現役で使用されているというダイヤル式の黒電話や、建て替え前のお店の写真、昭和の名優のサインなどが目に入り、古きよき時代の空気を感じずにはいられない。

お店には全国から漱石ファンが頻繁に訪れるという

メニューには、ロールキャベツやハヤシライスなどの魅力的な洋食が並んでおり、心が揺れ動くかもしれない。しかし迷いは禁物。まずオーダーすべきは「洋風かきあげ」だ。

同店を愛した歴史小説家がその著作の中で残した記述によると、「松榮亭」きっての名物料理となった「洋風かきあげ」の誕生秘話は以下の通りであったという。

店内に飾られた、建て替え前のお店の写真

時は遡り、明治時代半ば頃のこと。後に「松榮亭」の初代店主となる堀口岩吉(ほりぐち いわきち)さんは、旧・東京帝国大学でドイツ哲学や西洋古典学などの講義を行っていたラファエル・フォン・ケーベルの専属料理人として働いていた。

ある日、ケーベルの教え子であった漱石たちがケーベル宅に来訪したときのことだ。堀口岩吉さんは、ケーベルから「何かめずらしいもの」を漱石たちのためにつくるよう依頼されたという。そこで思案の末に用意したのが「洋風かきあげ」だったというわけだ。こうして誕生した「洋風かきあげ」は、「松榮亭」開業の際に店のメニューに加えられ、現在に至るまで変わらぬ味で提供され続けている。

4代目、現店主堀口毅さん

なお堀口岩吉さんは、「天皇の料理番」として知られる故・秋山徳蔵(あきやま とくぞう)氏のもとで働いた経験を持つ名料理人であったという。4代目の現店主である堀口毅(ほりぐち たけし)さんいわく、「3代目だった私の父も、上野精養軒に勤めていた頃に宮内庁や国会議事堂へ料理を作りに行ったりしていました。私自身も園遊会に料理を作りに行った経験もあるんですよ」とか。同店が、まごうことなき老舗の名店であることを物語るエピソードの一つである。

待つこと約15分。お待ちかねの一皿がやってきた。一般的なかき揚げとは見た目が異なり、洋食にも類するものがなさそうな、なんとも「めずらしい」佇まいだ。

一見して不思議に感じる佇まいが、食の好奇心をそそる

堀口毅さんは「洋風かきあげ」について次のように話してくれた。

「曾祖父はそのときに冷蔵庫にあった材料から、かき揚げをヒントにこの料理を作ったのだと思います。なにせ使える食材も限られていた時代ですから、今にしてみれば本当にシンプル。味付けに使うのは塩だけで、素材自体の甘みが前に出ている料理です。なお、曾祖父がお店をオープンしたときには漱石さんが来店してくださったとも聞いています」

卵と小麦粉を混ぜた生地に、細切りの豚肉と微塵切りの玉ねぎをまぜて塩で味付けし、自家製のラードでじっくりと揚げられて出来上がる「洋風かきあげ」。いざ食さんとナイフを入れると、重厚な見た目に反して、中身は実にふんわりとしている。この意外性もまた、このメニューの魅力なのだろう。

そのやさしい甘みが、甘党であったという漱石を喜ばせたことだろう

味のほうはというと、シンプルながら実に豊かな味わい。卵と玉ねぎの甘み、豚肉の旨味が一体となって口中に広がっていく。お好みでテーブルに用意されているウスターソースとからしをかけていただくのだが、実は、このソースにも店のこだわりが隠されているという。

「当店で使用している“プリンスソース”は、明仁上皇が皇太子だった頃に愛用されていたことを由来として名付けられた由緒正しきソースなのです」

その上品でまろやかな風味は、素材の味が生きた「洋風かきあげ」にぴったり。甘みが一層引き立ち、さっきとは違った“うまさ”が感じられる。

新しい時代の今こそ、伝統を味わう豊かな時間を楽しもう

はじめて食べるはずなのに、なぜか懐かしさを感じてしまう料理……。「洋風かきあげ」をひとことで表すならそんな感覚だ。それは決して「古い」ということではない。どこかに置き忘れてしまった大切な何かを思い出させてくれるような味わいが、そうした思いを想起させるのだろう。

漱石が残した言葉たちが今なお決して古びることなくものごとの本質を教えてくれるように、この一皿は雄弁に私たちに語りかけてくる。思い起こされるのは、晩年の漱石が若き二人の弟子たち——芥川龍之介と久米正雄だ——に送った手紙に綴られていた次の言葉だ。

「然(しか)し無暗(むやみ)にあせっては不可(いけ)ません。ただ牛のように図々しく進んで行くのが大事です」

元号も変わり新しい時代を迎えた今だからこそ、むやみやたらに焦ったり浮足立ったりすることなく、来し方をゆっくりと振り返ることも大切だ。それは行く末へと歩む足取りを、確かでしたたかな“図々しい”ものにすることに大いに寄与してくれるはず。

伝統を守り続ける老舗で「あの頃のままの味」を楽しむ豊かな時間は、その実りある省察を大いに促してくれること請け合いだ。

【インフォメーション】

松榮亭(しょうえいてい)

1907年に創業し、当時から変わらぬ味を守り続ける老舗の洋食店。紹介した洋風かきあげのほか、ハンバーグやエビフライなど定番の洋食メニューを提供する。秋山徳蔵氏直伝のハヤシライスも絶品。ランチにはライス・スープがセットとなったお得なセットメニューも。席数は22席(テーブル20席、カウンター2席)。


所在地/東京都千代田区神田淡路町2-8
TEL/03-3251-5511
営業時間/ランチ 11:00 ~ 14:00(L.O.)、ディナー 17:00 ~ 19:30(L.O.)
定休日/日曜・祝日
予算/¥1,000~ ※「洋風かきあげ」は¥950(ライス別)
アクセス/東京メトロ丸の内線 淡路町駅から徒歩3分