芥川龍之介が贔屓にした「くず餅」―授業を抜け出して食べにきたという逸話も

2020年5月13日

日本を代表する作家・芥川龍之介。学生時代に教科書を通じて、代表作の『羅生門』や『蜘蛛の糸』を読んだ人も多いのではないだろうか? また、その名を冠した文学賞「芥川龍之介賞」(通称・芥川賞)の発表を、毎回楽しみにしている人もいることだろう。

かように名高い芥川だが、食の好みについてはさほど知られていない。シニカルで厭世(えんせい)的な作品群から推察するに、“渋め”の食卓が好みなのかと思いきや……。実は、かなりの甘党だったという。

船橋屋 亀戸天神前本店

今回は、芥川が子どもの頃から足を運んでいたという亀戸の老舗和菓子店「船橋屋」を訪れ、文豪が愛した甘味を堪能する。

ニヒルな印象のある芥川龍之介は、大の甘党だった!?

明治25年(1892年)、芥川龍之介は東京市京橋区(現・東京都中央区)で牛乳製造販売業を営む新原家の長男として生まれた。母親が病弱だったため、生後まもなく母の実家である芥川家に預けられ、後に養子となった龍之介だが、その複雑な家庭環境にめげることなく勉学に励み、無試験で第一高等学校に入学。1913年(大正2年)には東京帝国大学(現・東京大学)に進み、同級生の菊池寛や久米正雄らと文芸雑誌を刊行したり、当時の大人気作家・夏目漱石に絶賛された短編『鼻』を執筆したりと、学生時代から作家としての才能を開花させていった。

芥川作品には、平安時代の歴史物語を下敷きにした、いわゆる“王朝物”が実に多く、前述の『鼻』や『羅生門』『芋粥』などはその代表格。また、長編小説を書かず、短編・中編にこだわった点も、彼の作風の大きな特徴で、その理由を『羅生門』の最後に収められた「校正後に」の中でこう書いている。

僕の書くものを、小さくまとまりすぎていると言うて非難する人がある。しかし僕は、小さくとも完成品を作りたいと思っている。芸術の境に未成品はない。大いなる完成品に至る途は、小なる完成品あるのみである。流行の大なる未成品のごときは、僕にとって、なんらの意味もない。

つまり、文章の完璧さを求めた末の長さというわけだ。いずれにせよ、人間、あるいは社会が抱えるエゴや矛盾を描いた作品群に対する評価は非常に高く、大学を卒業し、海軍機関学校の英語教師として働いている間も、次々と執筆の依頼が舞い込んだそうだ。

さて、そうした作風や肖像写真から、芥川に対して神経質でニヒルなイメージを抱いている人は少なくなさそうだが、食の好みは、まったくの逆。酒は飲まず、かなりの甘党だったといわれている。

たとえば、1927年(昭和2年)に書かれた随筆『しるこ』には、関東大震災以降、東京の汁粉屋が減ってしまったことを嘆く、こんな一文が書かれている。

僕等下戸仲間の爲(ため)には少からぬ損失である。のみならず僕等の東京の爲(ため)にもやはり少からぬ損失である。

戦前の「船橋屋」の様子。昔も今も客足は絶えない

さらに、同年に書かれた随筆『都会で――或は千九百二十六年の東京』では、雪が降り積もった公園の枯芝を「砂糖漬にそっくり」と表現しており、こうした記述の数々からも、芥川が本物の“スイーツ男子”であることがおわかりいただけるだろう。そして、そんな彼が生前に好んで食べた甘味の一つがくず餅。なかでも、「船橋屋 亀戸天神前本店」のくず餅は、学生時代から大のお気に入りだったようだ。

いちばん奥の「定席」に陣取って、大好きなくず餅を味わう

「船橋屋 亀戸天神前本店」(以下、船橋屋)があるのは、亀戸のランドマークともいうべき亀戸天神社のすぐそば。創業は文化2年(1805年)で、たびたび亀戸天神社に通っていた初代の勘助(かんすけ)が「ここで茶店を出したら喜ばれるのでは」と見込み、小麦粉を蒸した餅に、きな粉と黒蜜をかけて参拝客に売り出したのが、そのはじまりである。

と、ここまでを読んで、関西出身の方は「くず餅なのに、原材料が小麦粉?」と疑問に思ったかもしれない。関西で「くず餅」といえば、主原料は葛(くず)粉。小麦粉で作られたものに「葛」の名を付けるのはなぜなのか?

「亀戸天神社がある一帯は、当時は下総国葛飾郡(しもうさのくにかつしかぐん)と呼ばれており、勘助は地名から“葛”の一文字をとって、くず餅と名付けたといわれています」と教えてくれたのは、「船橋屋」8代目当主の渡辺雅司(わたなべ まさし)さん。つまり、関東と関西のそれはまったくの別物で、違いを明確にするために、関東では「くず」に「久寿」の字を当てる店もあるそうだ。

8代目当主の渡辺雅司さん

「船橋屋」のくず餅はたちまち評判となり、その後は“江戸名物”に数えられるほどの人気となっていく。明治初頭に発行されたかわら版「大江戸趣味風流名物くらべ」では、「亀戸くず餅・船橋屋」が江戸甘いもの屋番付の横綱としてランクされたというから、その繁盛ぶりは、推して知るべしだ。

そこから時は流れて、明治中期。当時の芥川は母方の実家があった本所区小泉町(現・墨田区両国)で暮らしていた。となれば、甘い物好きの芥川が、隣町にある「船橋屋」の評判を聞きつけるのも当然の話である。渡辺さんによると、芥川が同店に足を運ぶようになったのは、府立第三中学校(現・都立両国高等学校 附属中学校)に在学していた頃だという。

「体育の授業を抜け出して当店に立ち寄り、くず餅を急いで食べ、また走って学校に戻ったというエピソードも残っています。口のまわりにきな粉がついているのを先生に見つかり、そこから授業をサボったのがバレて、たいそう叱られたそうです」

『本所両国』では、くず餅は一盆10銭と記されている

中学生にして授業を抜け出すとは、なかなかのやんちゃぶり。そして、「船橋屋」のくず餅に対する思い入れの強さは、随筆『本所両国』にも垣間見ることができる。『本所両国』は、芥川が幼少期を過ごした本所・両国を友人のO君とともに散策し、関東大震災後の街の様子を綴った作品だが、その中で実際に飲食しているのは「船橋屋」のくず餅のみ。「僕は僕の友だちと一しよに江東梅園などへ遠足に行つた帰りに度たびこの葛餅を食つたものである」とも書かれているように、芥川にとって「船橋屋」のくず餅は、子どもの頃から慣れ親しんだ味であり、思い出深い一皿なのである。

製造日数450日以上、賞味期限たったの2日という“はかなさ”も魅力

「芥川先生は、いつもいちばん奥の席に座り、黙々とくず餅を食べていたと聞いています」

落ち着いた和の雰囲気が漂う喫茶ルーム

渡辺さんの話を聞いた後、大行燈(だいあんどん)に照らされた喫茶ルームの“いちばん奥の席”に座り、若かりし文豪に思いを馳せながら、くず餅をいただく。乳白色の餅に、きな粉と黒蜜をたっぷりとからめながらスプーンですくいあげる。スプーンからしたたる黒蜜が途切れるのを見計らって口に運ぶと……。きな粉の香ばしさと黒蜜の濃厚な甘さが一気に押し寄せてくる。くず餅は“もっちり”と“しっとり”が同居した絶妙の歯ごたえ。ほのかな酸味も感じられ、味わいの絶妙なアクセントになっている。

明治初頭発刊の名物番付で「横綱」に選ばれた「船橋屋」のくず餅

「酸味の正体は乳酸菌です。船橋屋では、厳選した小麦粉のでんぷん質を約450日間、乳酸発酵でじっくりと熟成させます。そうしてでき上がった小麦でんぷんはヨーグルトのような香りと味わいを持ち、蒸し上げるとしなやかな歯ざわりになるんです。関東のくず餅は、和菓子としては唯一の発酵食品なんですよ」

くず餅は1年ほどの発酵期間でも作れるが、試行錯誤を繰り返した結果、450日で発酵させたくず餅が、歯ざわりや弾力の面で一番よかったのだとか。この独特の風味と弾力は、長年にわたる技術の賜物であり、高みを目指す老舗だからこその“こだわり”というわけだ。また近年では、独自の調査からくず餅にしかない植物性乳酸菌の存在を発見。ユーザーの健康増進を目指した活動もスタートさせたという。

「以前から、『くず餅を食べると胃腸の調子がよい』という声をお客様からいただいていました。そこで、医療機関に分析を依頼したところ、小麦でんぷんを発酵させる樽から新種の乳酸菌『くず餅乳酸菌』が見つかったのです。当店は和菓子屋ですが、皆さんの健康のお役に立てればと思い、まずはサプリメントとして販売することにしました」

余談ではあるが、第二次世界大戦の東京大空襲で「船橋屋」が大きな被害を受けたときも、店の命ともいうべき発酵でんぷんだけは奇跡的に無事だったのだとか。そうした歴史を経て、現代に受け継がれてきた「伝統」が、時代にあわせて「革新」の商品へと生まれ変わっていく……。それもまた、男心がくすぐられるストーリーだ。

ちなみに、芥川龍之介と生まれ年が同じで、『宮本武蔵』『新・平家物語』などで知られる作家の吉川英治も、「船橋屋」の大ファンで黒蜜が大のお気に入りだったという。

「当店の黒蜜は、沖縄産の黒糖をベースに数種類の糖を独自にブレンドしています。吉川先生はパンに黒蜜をぬって食べるのが好きで、さまざまな黒蜜を試した結果、当店のものが最もおいしいと贔屓にしてくださったのです。執筆に疲れると、きまって食べていたそうですよ」

喫茶ルームには、欅の一枚板に「船橋屋」と書かれた看板が飾ってあるが、実はこれは吉川が書いたもの。渡辺さんは「黒蜜のご縁で、吉川先生に『船橋屋』と墨書していただきました。先生は大きな文字を揮毫(きごう)することがなかったと聞いているので、本当に特別だったのだと思います」と教えてくれた。

吉川英治が書きあげた看板が店内に

くず餅談義を終えて、ふとあたりを見渡すと、店内は甘味を楽しむ人でいっぱいになっている。散歩中のご夫婦らしき2人連れもいれば、SNSに画像をアップしている若い女性もいたりして、客層は実に幅広い。215年もの間、しっかりと守られてきたその味わいは、今もなおたくさんの人を魅了しているようだ。『本所両国』に「船橋屋も家は新たになつたものの、大体は昔に変つてゐない」と書いた芥川が今の「船橋屋」を訪れたなら、おそらく同じ感想を抱くに違いない。

帰りしな、友人への手土産にくず餅を買い求めると「消費期限は購入当日と翌日の2日間」との説明を受ける。防腐剤や保存料を一切使っておらず、また、自然のままの状態で食べてほしいという思いから真空パックも使っていない。ゆえに、それが味わいや歯ざわりを保つ限度なのだそうだ。でき上がるまで450日以上かかるのに、食べられるのはたったの2日間――。まさに“刹那の口福”と呼びたくなる有りようで、そのはかなさもまた、このくず餅の魅力なのだろう。

こじつけが過ぎるといわれそうだが、文豪たちの作品も、書きあげるまでにたくさんの時間を費やすのに、読まれるのはほんの数時間。そう考えると、文豪たちがくず餅に魅かれたのは、単なる偶然ではないのかもしれない、と思えてくる。いや、もちろん彼らを魅了したのは、丁寧に作られたからこその“おいしさ”に違いないのだけれど。あれこれと妄想を膨らませながら、伝統の味を楽しむのもいいではないか。

【インフォメーション】

船橋屋 亀戸天神前本店

創業215年の老舗和菓子店。看板商品のくず餅のほか、あんみつ、豆寒天、ところてん、ぜんざいなどを販売。現在、本店を含め25店舗を展開するが、くず餅の消費期限がわずか2日のため、関東近郊のみとなっている。本店喫茶ルームの席数は38席(すべてテーブル席)。


所在地/東京都江東区亀戸3-2-14
TEL/03-3681-2784
営業時間/9:00 ~ 18:00(お召上がり 9:00 ~ 17:00)
定休日/無休
目安金額/くず餅 ¥650~
アクセス/総武線 亀戸駅から徒歩約10分、総武線・半蔵門線 錦糸町駅から約10分