芥川龍之介からジョン・レノンまで―文化人を夢中にした「もうひとつの銀ブラ」

2020年7月21日

読者のみなさんであれば、一度くらいは「銀ブラ」という言葉を耳にしたことがあるだろう。若かりし頃、友人やパートナーと「週末は銀ブラしようか」「いいね、行こう!」なんてやりとりをしていた人も少なくないかもしれない。

では、この「銀ブラ」という言葉にどんな由来があるか? についてはご存じだろうか。

「東京の銀座通りをぶらぶら散歩すること」というのが一般的だが、実をいうと、そこにはもうひとつの説がある。それは、「銀座カフェーパウリスタでブラジルコーヒーを飲む」というもの。つまり、「ブラ」の語源を「ブラジルコーヒー」に見ているわけだ。

ちなみに「銀座カフェーパウリスタ」というのは、芥川龍之介、菊池寛、与謝野晶子、平塚らいてうなど、多くの文化人に愛された老舗のカフェ。今回は文豪やモボモガ(※)たちが楽しんだという「もうひとつの銀ブラ」を紹介しよう。

モボモガ:モダンボーイとモダンガールの略語。西洋文化の影響を受け、戦前当時の先端をゆく日本の若者たちのこと。

「銀座でブラジルコーヒーを飲む」が大流行

銀ブラという言葉が使われるようになった大正時代、「銀座カフェーパウリスタ」は現在の銀座7丁目、交詢ビルディングの向かいにあった。そして、そこには日本を代表する文豪や新しいもの好きのモボモガに混じって、慶應義塾大学の学生の姿も数多くあった。当時、彼らの間では、三田のキャンパスから銀座まで歩き、パウリスタでブラジルコーヒーを飲むのが流行っていたのである。

店名の「カフェー」はポルトガル語でコーヒー、「パウリスタ」はサンパウロっ子の意味

たとえば、同大学出身で、詩人・作家として活躍した佐藤春夫は、自叙伝『詩文半世紀』に次のように書いている。

学校で相手がつかまると別に相談するまでもなく、足は自然と先ず芝公園に向かった。(中略)公園のどこかで一休みすると、我々の足は申し合わせたように一斉に自然と新橋の方面に向かい、駅の待合室で一休みしつつ旅客たちを眺めたのち「パウリスタ」に行ってコーヒー一杯にドーナツでいつまでも雑談に時をうつしていると、学校の仲間が追々とふえて来る。(中略)芝公園を出て新橋駅待合室経由パウリスタというのが我々の定期航路となっていた。

慶大生たちは、三田から銀座へとブラブラと歩いて行き、パウリスタでブラジルコーヒーを飲むことを「銀ブラ」といい、仲間内で使っているうちに一般にも広がった――。これが「もうひとつの銀ブラ」の根拠といわれている。

銀ブラの語源には諸説あり、この話の真偽は定かではないが、パウリスタが銀座の人気店であったことだけは、しっかりと伝わってくる。

1階は左右に革張りのソファが並び、落ち着いた雰囲気

そのパウリスタは、現在は銀座8丁目にある。革張りの低いソファ、農園で働く農夫を描いた銅版画、静かに流れるボサノバやジャズ……。常に大勢の人が行き交う銀座の中央通りに面しているにもかかわらず、店内は実にゆったりと落ち着いた雰囲気。古き良き喫茶店を彷彿とさせるレトロさがありながら、どこかモダンな空気を纏っているのも、この店の魅力だ。

2階は中央にオープンキッチンを備えたカジュアルな雰囲気

パウリスタの伝統の味である「パウリスタオールド」は、しっかりとしたコクがあり重厚、それでいてキレがある。「パウリスタオールドは創業当時の味を再現しています。深煎りがお好きな方に特に好評です」と教えてくれたのは、パウリスタの6代目社長である長谷川勝彦さんだ。パウリスタを贔屓にした文化人たちも、きっとこの味を楽しみに通ったのだろう。

6代目となる長谷川勝彦社長。現在も、年に5回は生産地に出向き、買い付けを行っているという

それにしてもなぜ、パウリスタはそこまで多くの人に支持されたのか。長谷川さんはこう推測する。

「銀座カフェーパウリスタがオープンしたのは1911(明治44)年のことです。国内でコーヒーがまだ珍しく、もりそばやかけそば、銭湯が3銭といわれていた時代に、当時、世界の50%以上のシェアを持っていたブラジル産のコーヒーを1杯5銭でお出ししていました。本格コーヒーを格安で飲めるところがうけたのではないでしょうか」

パウリスタより前に、銀座に会員制の高級料理店「プランタン」が開店しているが、コーヒーの値段はパウリスタの約3倍だったそうだ。

パウリスタが他店よりもコーヒーを安く提供できたのには理由がある。明治から大正にかけて、多くの日本人がブラジルへと渡ったのは周知の通りだが、このブラジルへの移民を手がけたのがパウリスタの創業者・水野龍である。そして、ブラジルのサンパウロ州政庁は、水野の移民事業に報いるため、また、ブラジルコーヒーの日本でのシェアを広げるため、コーヒー豆を年間1,000俵無償で供与することを約束したのだ。

「ブラジルに渡った日本人移民の多くがコーヒー農園で働いていました。そして、日本人移民の汗の結晶であるコーヒーを日本の人たちに飲んでほしいという思いから、水野は1910年にブラジル珈琲発売所『カフェーパウリスタ』を設立。翌年、ブラジルコーヒーを軽食と一緒に楽しめる場として、『銀座カフェーパウリスタ』を開業しました。パウリスタが1杯5銭でコーヒーをお出しできたのは、ブラジルからの無償供与があったからにほかなりません」と長谷川さんは話す。

当時の日本人にとって、コーヒーはなじみのない飲み物。ゆえに、なかなか輸入許可が下りず、水野はかなり難儀していた。そんな中、水野を後押しし、許可申請に力を貸してくれたのが、政治家の大隈重信なのだという。ご存じの通り、大隈といえば早稲田大学の創立者。その助力によってオープンしたカフェが、のちに慶大生の行きつけとなるというのは、なんとも興味深いではないか。

文豪・文化人がこぞって通った理由とは?

話を元に戻そう。パウリスタ人気の理由は、1杯5銭という値段だけではない。白亜三階建ての洋館に白大理石のテーブル、パリ風の曲木椅子。そんなハイカラなたたずまいの中、コーヒーを運ぶのは、肩章をつけた純白の上着に黒ズボンをまとった15歳未満の少年たち……。そうした異国情緒あふれる雰囲気も、当時の人たちを惹きつけた要因である。

加えて、地の利もあった。パウリスタの近くには時事新報社や朝日新聞社、外国商館などがあり、進歩的な文化人や記者が集まっていたのである。つまり、彼ら・彼女らにとって、パウリスタは絶好の待ち合わせ場所であり、憩いの場。大正文壇の寵児・芥川龍之介もその一人で、時事新報社の主幹を務めていた菊池寛に原稿を届けるためにしばしば銀座を訪れ、パウリスタを利用していたという。その証拠に、芥川の短編小説『彼 第二』には、次のような場面がある。

ある粉雪の烈しい夜、僕等はカッフェ・パウリスタの隅のテエブルに坐っていた。その頃のカッフェ・パウリスタは中央にグラノフォンが一台あり、白銅を一つ入れさえすれば音楽の聞かれる設備になっていた。その夜もグラノフォンは僕等の話にほとんど伴奏を絶ったことはなかった。
「ちょっとあの給仕に通訳してくれ給え。――誰でも五銭出す度に僕はきっと十銭出すから、グラノフォンの鳴るのをやめさせてくれって。」

文中に登場するグラノフォンとは自動ピアノのこと。五銭白銅貨を入れると好みの名曲が聞けるこのサービスを楽しみに、パウリスタに通った客もいたようだ。ともあれ、上記のシーンが芥川の実体験なのか、それとも、ほかの客のやりとりから着想を得たものか……などと、当時の状況を想像しながら、伝統のコーヒーを味わうのも一興だ。

通販では自慢のスイーツも一部取り寄せが可能。写真はブランデーケーキ

ほかにも、森鴎外、谷崎潤一郎、与謝野晶子、平塚らいてう、井上ひさしなど、パウリスタを訪れた文化人は枚挙に暇がないが、『赤毛のアン』の翻訳者として知られる村岡花子も常連の一人だった。村岡はもともと教文館の編集者で、当時、教文館の向かいにパウリスタがあった。以前、教文館で村岡花子展が開催された折、長谷川さんは村岡の自筆の手紙に「パウリスタ」と書かれているのを目にしたという。

「さまざまな展示品の中にはご本人の自筆の手紙もありました。そこに、『パウリスタで会いましょう』『パウリスタで会ったとき』といった内容が書かれていました。村岡さんをモデルにしたドラマでもパウリスタの様子が描かれていましたが、実際に当店を贔屓にしてくださったようです」

ジョン・レノンのサイン入りカップ&ソーサー。店内にはこの写真も飾られている

さらには、あのジョン・レノン夫妻もパウリスタがお気に入りだったというから驚く。1970年代後半、ジョンは妻のオノ・ヨーコとたびたび来日しているが、長谷川さんによると、「1978年に3日連続でパウリスタを訪れ、パウリスタオールドを飲んだという話が伝わっています」とのこと。その際、ジョン・レノンがサインしたカップとソーサーは、店の宝として今も大切に保管されている。

本格ブラジルコーヒーが生む豊かなひととき

多くの文化人に愛されたパウリスタは、1923(大正12)年の関東大震災で、一度倒壊している。だが、47年の空白期間を経て、1970年に現在の地で営業を再開。2020年には創業110周年を迎えた。銀座の街並みも、パウリスタも、創業当時とはずいぶん変わっているが、おいしいコーヒーを片手に人々がときに歓談し、ときに待ち人を思い、ときに空想に耽るという光景は、きっと今も昔も同じだろう。

長谷川さんがブラジルで“理想のコーヒー”を探し歩く中、出会ったのが一番人気の「森のコーヒー」なのだという。

「森のコーヒー」税込み680円

「ブラジルの大規模コーヒー農園では、熱帯雨林を伐採し、そこにコーヒー樹木だけを植え、収穫量を増やすために農薬や化学肥料を使うのが一般的です。ところが、現地で紹介されたジョン・ネットさんの農園は違いました。農薬はおろか肥料も使わないのです。さまざまな植物が共生するジョンさんの農園はまさに“森”。『私が求めていたコーヒーはこれだ!』そう直感しましたね」

安心・安全でおいしい「森のコーヒー」は発売されるやすぐに評判を呼び、今ではパウリスタの看板商品ともいうべき存在になっている。なお、「森のコーヒー」をはじめとするパウリスタ自慢のコーヒーは通信販売でも手に入るので、実際に店に足を運べない人も楽しむことができる。

最後に、コーヒーを上手に淹れるコツを教えていただいたので紹介しよう。

「まずは挽き立ての豆を使ってください。お湯は沸騰後に火から外して、湯面が静かになった95度が最適です。また、コーヒーがすべて落ちきらないうちにドリッパーを外すのもポイント。こうすれば、ご自宅でも雑味のないおいしいコーヒーを楽しめます」

ここ数年、猛スピードで変わっていく東京の街並みを見てきたせいか、こういう場所でゆったりと過ごすのは、本当に心地がいい。大正モダニズムが華やかなりし頃から、ずっと守られてきた“極上の一杯”を楽しみ、セピア色の時代に思いを馳せる……。そんな「もうひとつの銀ブラ」は、せわしない毎日から“少しだけ”距離をとりたいときにおすすめだ。

【インフォメーション】

銀座カフェーパウリスタ

“ブラジル移民の父”と呼ばれる水野龍が、ブラジルコーヒーを広げるべく1911年にオープン。コーヒーのほかトーストやキッシュなどのフード類、ケーキ類も充実している。席数は100席(1階50席、2階50席)。


所在地/東京都中央区銀座8-9 長崎センタービル1F
TEL/03-3572-6160
営業時間/月~土 9:00 ~ 19:00、日・祝 11:30 ~ 18:00
※当面の間時間短縮にて営業。営業時間変更の場合はホームページにてお知らせします。
定休日/無休(年末年始は除く)
予算/¥680~
アクセス/JR・東京メトロ銀座線・都営地下鉄 新橋駅から徒歩4分