池波正太郎が愛したてんぷらの名店――“てんぷらは「親の敵に会ったように」食べろ”

2021年03月24日

『鬼平犯科帳』や『剣客商売』などの時代小説で知られる作家・池波正太郎は、文人屈指の食道楽でもあった。事実、時代小説シリーズの中にも数々の美食メニューが描かれているほか、食に関する随筆も多数執筆。池波が通った名店を訪れる熱心なファンの姿は、今も絶えることがない。なかでも、池波のお気に入りだったのが東京・お茶の水にある「てんぷらと和食 山の上」だ。

時代小説の第一人者がひいきにした「山の上のてんぷら」

池波正太郎は、1923(大正12)年、東京・浅草に生まれた。尋常小学校卒業後は進学せずに株式仲買店に勤めていたが、やがて海軍に入隊。戦後は、都職員として働くかたわら戯曲を書き、のちに小説も手がけるようになる。そして、1960(昭和35)年には、『錯乱』で第43回直木賞を受賞し、人気小説家としての地位を確立。その後、『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』といった人気シリーズを発表するなど、時代小説の第一人者として多くの名作を世に送り出した。

そんな池波の活力源となっていたのは、まぎれもなく「食」。外での食事であれ、家での食事であれ決しておろそかにせず、いいと思った店にはくり返し通って、その味を堪能した。とくに、「山の上ホテル」内にあるレストラン「てんぷらと和食 山の上」をひいきにしており、エッセイにもたびたび登場。池波ファンにとって、一度は訪れたい“聖地”となっている。

ホテルもレストランも2019年に改装しているが、カウンター席のまわりは、池波が通っていたころの面影を残しているという

山の上ホテルは、JR御茶ノ水駅から5分ほど歩いた、神田駿河台と呼ばれる高台にある。現在はホテルとして営業しているが、もとは「佐藤新興生活館」と呼ばれ、生活改善と社会改良のために西洋の生活様式などを女性に啓蒙する施設として運用されていた。
その開業は1937(昭和12)年。しかし、ほどなくして第二次世界大戦が始まると、建物は将校宿舎として帝国海軍に接収され、戦後はアメリカ軍の陸軍婦人部隊の宿舎として使われたという。

東京・お茶の水、駿河台の高台にある「山の上ホテル」

佐藤新興生活館が、ホテルに転用されたのは1954(昭和29)年のこと。出版社が多い神田・神保町に近いこともあり、山の上ホテルには次第に、「カンヅメ生活(ホテルなどに閉じこもって執筆作業に専念すること)」を送るために宿泊する作家や文化人が集うようになった。かの三島由紀夫もその一人で、山の上ホテルに宿泊した折、部屋に備え付けのレターセットに次のようなコメントを書き残している。

「東京の真中にかういう静かな宿があるとは思わなかった。設備も清潔を極め、サービスもまだ少し素人っぽい処が実にいい。ねがはくは、ここが有名になりすぎたり、はやりすぎたりしませんやうに」

ほかにも川端康成や山口瞳など、山の上ホテルを定宿とする作家は少なくなかったが、そうした中で池波がはじめて山の上ホテルを訪れたのは、1983(昭和58)年の夏。友人にすすめられてのことだった。

今年の夏。私は、はじめて〔山の上ホテル〕の本館へ三泊した。そして、このホテルに魅了されてしまった。ために、ホテルを引きあげるとき、翌月の予約をしたのだった。私が気に入った部屋には大きな机がそなえつけられてあるし、時代小説以外の細かい仕事をするには、うってつけなのだ。(『新 私の歳月』<講談社>より引用)

以来、山の上ホテルは池波の定宿となった。とはいえ、滞在中は小説を書かず、絵を描いたり、文学賞の候補作を読み込んだりするのが常だったという。そして、食事はホテル内の「てんぷらと和食 山の上」でとることが多かった。

店内には、池波が当時のホテルの経営者に送ったお礼状が飾られている

「てんぷらと和食 山の上」に入ると、左手にヒノキの一枚板のカウンター席があるが、池波は店が空いている時間を見計らって訪れては、カウンターの奥の席に座っていたそうだ。残念ながら、当時の料理長はすでに独立しているが、現料理長の寺岡正憲(てらおか まさのり)さんが、池波についてこんな話をしてくれた。

料理長の寺岡正憲さん。21歳で「山の上ホテル」に就職し、以来、山の上ホテル一筋で研鑽を積んできた

「当時は、銀座の名店『てんぷら近藤』の店主・近藤文夫(こんどう ふみお)さんが料理長でした。池波先生は、近藤さんの料理の腕前を非常に買っていらっしゃって、ホテルにお泊まりではないときも、たびたびお店にいらっしゃったと聞いています。奥の席がお気に入りだったのは、近藤さんの仕事が見える特等席だからではないでしょうか」

てんぷらは、すべての食材が主役になれる料理

ここを訪れたなら、池波にならってカウンターの奥の席に着き、絶品のてんぷらを味わいたい。まずは、春に旬を迎える「そら豆のかき揚げ」から。衣から透けて見えるやわらかな緑色が美しく、食べた瞬間にそら豆の香りと甘みがぱっと口中に広がる。衣の軽い食感と、そら豆特有のほっくりとした食感の対比も、実に楽しい。

そら豆のてんぷらは、池波正太郎も好物だったという

続いては、山の上名物ともいわれる「さつまいものてんぷら」だ。こちらは直径7~8センチ、高さおよそ10センチの円柱にカットしたさつまいもを、そのまま揚げた豪快な一品。「当店は、中温と高温の二つの揚げ鍋を用意し、食材によって使い分けています。さつまいものてんぷらは、見てのとおり高さも厚みもあるので、中温の鍋で約50分かけて揚げて甘みを引き出しています」とは寺岡料理長の言葉だ。

名物「さつまいものてんぷら」は揚げるのに時間を要するため、予約時か入店時に注文するとスマート。ブランデーをかけて食べる“通”もいるとか

箸で割ると、中からぱっと湯気が立ち上り、それだけで食欲が刺激されるのだが……。熱々のところを頬張ると、さらなる驚きが待っている。さつまいもの甘みが、なんともいえず濃厚なのだ。寺岡料理長が「てんぷらは、素材のうまみを閉じ込める料理なんです」と教えてくれたが、まさにそのとおりの味わいである。

さて、ここで同店がこだわる野菜のてんぷらについて、少し付け加えておこう。野菜のてんぷらを出す店は今でこそ珍しくないが、かつては違っていた。江戸前の魚介を使ったてんぷらこそが“王道”であり、野菜のてんぷらは家庭料理という位置づけ。東京の専門店で出すのは“邪道”とされていたのだ。

しかし、「てんぷらと和食 山の上」のかつての料理長・近藤文夫氏がその流れを変えた。野菜のてんぷらを軽んじる風潮に疑問を持った近藤氏は、産地にこだわり、食材ごとに最適な揚げ方を模索し、試行錯誤の末に専門店が出すにふさわしい逸品へと昇華させたのである。もちろん、そうした妥協を許さない姿勢は、寺岡料理長にもしっかりと受け継がれている。

文豪が病床で欲した天丼を味わう

池波は、「てんぷらと和食 山の上」について、こんな感想を残している。

私の友人のS君などは、ここの天ぷらを、「私にとっては、日本一です」などと、ほめちぎる。私なども、(この値段で、よく、これだけのものを食べさせるものだ)感心をするが、これも〔山の上ホテル〕の経営の中にふくみこまれ、そのエスプリがあるからだろう。(『新 私の歳月』<講談社>より引用)

また、池波の“山の上びいき”を物語るエピソードとして、次のような話もある。池波は晩年、体調を崩して入院生活を送っていた。が、それにもかかわらず、「山の上の天丼が食べたい」といい出し、当時の料理長だった近藤氏が好物の天丼を病床に届けたというのだ。

そんなエピソードにちなんで、最後に、えび、キス、かき揚げ、伏見唐辛子のてんぷらを盛り合わせた「天丼」も紹介しておこう(単品メニューとしての天丼はランチのみの提供)。

野菜のてんぷらと同様、素材本来の味が何倍にも引き出されており、砂糖を使わない薄口のたれとの相性も申し分なし。ボリュームがあるのに重く感じられないのは、100%ごま油を継ぎ足しせず、数人分を揚げるごとに新しいごま油に入れ替えているから。少しくらい欲張って注文しても、胃もたれの心配は無用だ。

厳選した旬の食材にごく薄く衣をまとわせ、100%ごま油で満たした二つの揚げ鍋を自在に駆使して素材の持ち味を閉じ込める――。池波が愛した山の上の伝統の味は、今なお健在である。

油は100%ごま油。ごまを生のまましぼる太白ごま油と、軽く煎ってからしぼるごま油を独自の配合でブレンドしている

しかし、伝統を守る一方で、ワインや日本酒とのペアリングを提案したり、成熟する前の状態で収穫した黒舞茸を天種にしたりと、寺岡料理長は新たな挑戦も続けている(シニアソムリエの資格も持っているそうだ)。

「近藤さんが礎を築き、歴代の料理長が受け継ぎ、大切にしてきた味は、これからもしっかりと守っていきます。けれど、それだけでは時代の変化についてはいけません。だからこそ、王道を守りつつも、日々の仕事をよりていねいに、緻密にすることで、山の上のてんぷらをさらに進化させていきたいのです」

もし、池波が現在の山の上のてんぷらを食べたら、どんな感想を抱くのだろう。やっぱり、「うまい」とうなずきつつ、揚げるそばからかぶりつくだろうか。そう、こんなふうに。

てんぷら屋に行くときは腹をすかして行って、親の敵にでも会ったように揚げるそばからかぶりつくようにして食べていかなきゃ、てんぷら屋のおやじは喜ばないんだよ(『男の作法』<新潮社>より引用)

てんぷらを前に、たらたらと酒を酌み交わしたり、ながながと語り合ったりするのはご法度。せっかくの味がわからなくなるから、酒は二本まで。とにかく、出るそばから口に入れる――。それが池波の流儀なのだが、池波がこれほど食に真剣に向き合っていたのは、食べることはすなわち生きることであり、“口福”こそが人生を豊かにしてくれると考えていたからにほかならない。

「てんぷらと和食 山の上」で、熱いてんぷらを熱いうちに食べ、素材本来のうまさを存分に味わい、真に豊かな人生とは何かをもう一度見つめ直してみる−−。「忙しい」を理由に食をおろそかにしがちな現代人にこそ、そんなひとときが必要なのかもしれない。読者のみなさんも、さっそく足を運んでみてはいかがか。

【インフォメーション】

てんぷらと和食 山の上

写真家の土門拳や評論家の山本健吉も愛したてんぷらの名店。60席(個室3室)。ホテル内にはほかに6つのバー&レストランがあり、池波のエッセイには「中国料理 新北京」「鉄板焼ガーデン」「コーヒーパーラーヒルトップ」「バーノンノン」も登場する。


所在地/東京都千代田区神田駿河台1-1 山の上ホテル内
TEL/03-3293-2831(受付時間7:00~20:00)
営業時間/朝食7:00~10:30(10:00 LO)、ランチ11:30~15:00(14:30 LO)、ディナー17:00~21:00(20:00 LO)
※新型コロナウイルス感染拡大により、営業時間・定休日が記載と異なる場合がございます。
定休日/無休
予算/<ランチ>天丼¥3,960、コース¥6,600~ <ディナー>コース¥11,000~
※別途、サービス料10%を頂戴しております。
アクセス/JR総武線または中央線 御茶ノ水駅から徒歩5分、東京メトロ丸の内線 御茶ノ水駅または千代田線 新御茶ノ水駅から徒歩6分、東京メトロ半蔵門線または都営新宿線または三田線 神保町駅から徒歩6分