渋沢栄一が家族ぐるみで重宝――和菓子の老舗「とらや」を訪ねる

2021年06月23日

2018年にリニューアルした「とらや 赤坂店」。木をふんだんに使った軽やかなたたずまい

幕末から明治、大正、昭和の時代を生き抜き、日本の基盤を築いた渋沢栄一。栄一が主人公の歴史ドラマが始まったことや、2024年度に一新される1万円札の“顔”に選ばれたことでも話題だが、味の好みはというと、なかなかの甘党だったようである。特に、和菓子の老舗「とらや」をひいきにしており、「とらや」には渋沢家からの注文記録が多数残っているという——。「とらや」を訪れて伺った渋沢とのエピソードを、栄一の功績とともに紹介する。

日本経済の父、渋沢栄一は甘党だった?

渋沢栄一は天保11(1840)年、今の埼玉県深谷市血洗島に生まれた。実家は、麦作や養蚕を営む農家ながら、藍染の原料となる藍玉の製造・販売も手がけており、かなりの“豪農”だったといわれている。

その渋沢家の跡取り息子として、日々文武両道に励んでいた栄一だったが、24歳のときに縁あって一橋慶喜(のちの徳川慶喜)に仕えることになる。算数に明るかった栄一は、その後、一橋家の家政の改善などに手腕を発揮し、信頼を獲得。

慶喜が15代将軍に就任したことで、期せずして幕臣に取り立てられると、パリ万国博覧会へ向かう慶喜の実弟・昭武に随行するように命じられるのだが……。このフランスへの旅が、栄一にとっての“大きな転機”になった。

フランス滞在中に、日本にはまだなかった「銀行制度」「株式会社制度」を知った栄一は、日本の近代化の必要性を痛感し、先進的な諸制度を日本で実践することを決意したのである。

帰国後、栄一は官僚から実業家に転身して、日本初の銀行「第一国立銀行」を設立。以降、次々と会社の設立や設立の支援を続け、設立に関わった企業は、鉄道会社、製紙会社、貿易会社、ガス会社、ホテルなど、実に500社余り。日本の経済社会に、どれだけ貢献したかがわかる数字である。

さて、まさに“バイタリティーのかたまり”のような人物だった栄一だが、食の好みはどのようなものだったのだろう。先述のフランスへの船旅で食べた料理について、著書の中にこんな記述がある。

バターという牛の乳を固めたものをパンに塗って食べる。味はとても美味しい。(中略)食後、カフェという豆を煎じた湯を出す。砂糖、牛乳を加えてこれを飲む。胸がとてもスッとする。
(『現代語訳 渋沢栄一自伝 「論語と算盤」を道標として』<平凡社新書>より引用)

日本でバターやコーヒーが一般的になったのは、第二次世界大戦以降のこと。日本人にとっては未知の味だったバターや牛乳を「おいしい」と感じる栄一は、考え方だけでなく、味覚も新しいものを受け入れ理解するのも早い人だったのだろう。

また、とあるインタビューで好きな食べ物を聞かれて、こう答えているように、なかなかの甘党でもあったようだ。

甘いものは好きで良く食べる。
(『渋沢栄一物語』<広報ふかや>より引用)

なかでも「とらや」の和菓子に関しては、さまざまな逸話も残っている。

“渋沢家御用達”、とらやの「羊羹」の上質な味わい

ご存じの方も多いと思うが、「とらや」は室町時代後期に京都で創業した老舗の和菓子店である。御所の御用を勤めていたことから、明治2(1869)年に東京遷都が決まると、「とらや」は明治天皇にお供して東京にも進出。明治から大正にかけては、皇室・皇族はもとより、栄一をはじめ伊藤博文や大隈重信など、政界・経済界のリーダーたちにも愛された。

2Fは売場となっている。黒漆喰壁に「鐶虎(かんとら)」と呼ばれる「とらや」の紋がよく映える

現在、「とらや」は都内に6つの直営店と多くの販売店をかまえているが、今回は、東京の旗艦店にあたる「とらや 赤坂店」を訪れ、渋沢栄一と和菓子にまつわる“おいしい話”を探ってみることにした。

3階の虎屋菓寮では、「とらや」の向かいにある赤坂御用地や豊川稲荷の緑を眺めながら、和菓子および軽食をいただける

2018年にリニューアルした店舗はガラス張りの外観が印象的で、1階がエントランス、2階が売り場、3階は「虎屋菓寮」と呼ばれる喫茶スペースになっている。せっかく赤坂店に来たのであれば、売り場で和菓子を買うだけでなく、虎屋菓寮で栄一ゆかりの和菓子を食べて一服したいところ。広報担当の黒川さゆりさんは、「そういうことであれば」と3つの和菓子をすすめてくれた。

「渋沢家はとらやのお得意様で、毎年、さまざまなお菓子をご注文いただいておりました。事実、当店には渋沢家から『夜の梅』や『椿餅』『羊羹粽(ようかんちまき)』などの注文があったという記録も残っています」

「夜の梅」の菓銘は、元禄7(1694)年の古文書に見ることができるという。当時は干菓子であったと考えられる

「夜の梅」は煉羊羹。「椿餅」は2月限定の、「羊羹粽(ようかんちまき)」は初夏限定の生菓子だ。残念ながら、これらの和菓子が贈り物用だったのか、自宅用だったのかは不明だというが、甘いもの好きの栄一のこと。自身もそれなりの頻度で食べていたことは想像に難くない。なかでも煉羊羹「夜の梅」は、羊羹としておよそ200年の歴史をもつ「とらや」の代表銘菓。忙しい日々の合間に、「夜の梅」でつかの間の休息をとるような場面もあったのではないだろうか。

そんな想像をしながら、虎屋菓寮で「夜の梅」をいただくことに。すると……。黒文字(楊枝)を刺そうとしたその切り口に、小豆が控えめにのぞいていることに気がついた。聞けば、「夜の梅」という雅な菓銘は、この切り口の小豆を夜の闇に咲く梅に見立ててつけられたのだという。

切り分けた小片を口に入れると、確かな弾力とともに、口の中が濃厚な甘さで満たされる。だが、不思議とくどさは感じられない。黒川さんいわく、「とらや」の菓子は「少し甘く、少し硬く、後味よく」が身上とのこと。

渋沢栄一のライバル・岩崎家とゴルフ最中

栄一と「とらや」のストーリーは、それだけではない。栄一が肺炎で倒れた際、明治天皇は渋沢家に「とらや」の菓子をお贈りになられているし、栄一が仕えた徳川慶喜も、「とらや」に菓子を注文していたという記録がある。また、栄一とはライバル関係にあった、三菱財閥の岩崎家も「とらや」を御用達としていた。

ここで、岩崎家と「とらや」にまつわるエピソードについても紹介しておこう。「とらや」のロングセラー和菓子の中に「ゴルフ最中 ホールインワン」という一品があるが、このゴルフ最中の誕生には、三菱財閥の4代目総帥・岩崎小弥太(岩崎弥太郎の甥にあたる人物)と孝子夫人が関わっているのだ。

大正15(1926)年、岩崎小弥太は、三菱各社の幹部を集めたパーティーを企画。孝子夫人は宴席を盛り上げるために、当時流行しつつあったゴルフのボールを模したお菓子を思いつく。そして、その製造を依頼したのが「とらや」だった。とはいえ、孝子夫人のアイデアを菓子で再現するのに、職人たちは大いに苦労したようだ。というのも、当時、ゴルフは最先端のスポーツで、職人たちの多くはゴルフというものをよく知らなかったのである。当初は、型を用いた押物や羊羹製(こなし。餡に小麦粉などを混ぜて蒸し、もむ製法のこと)の生地でつくったものの、ゴルフボールの質感を出すのが大変だったという話も残っている。

「ゴルフ最中 ホールインワン」は数量限定。人気商品のため、確実に購入したい場合は事前に予約の電話を入れるのが正解

しかし、それでも職人たちは、見事にゴルフボールを模した菓子をつくりあげた。

その後、ゴルフボール型の菓子は改良を重ね、現在の「ゴルフ最中 ホールインワン」となった。ちなみに、ゴルフ最中専用に炊かれた餡は、ゴルフのラウンド中の栄養補給にも役立ちそうな、重厚な甘さ。パリパリとした最中と、餡のねっとりとした食感の対比も楽しい。こちらは虎屋菓寮の喫茶メニューにはないので、赤坂店に立ち寄った折には、2階の売り場で購入することをおすすめする。

栄一が唱えた「論語と算盤」の精神を想う

栄一の著書に、『論語と算盤』という名著がある。その中で、栄一は「ビジネスにおいて、論語と算盤を一致させることが重要だ」と主張している。「論語」は、中国の思想家・孔子と、その弟子たちの会話をまとめた書であり、人々が守るべき道徳(「公益」あるいは「社会貢献」と言い換えてもいいだろう)である。一方、「算盤」は、利益を追求する行為を指す言葉だ。論語と算盤を両立せず、算盤だけを追い求めたビジネスは長続きしない——。つまりは、これが栄一の信念だったのだ。

その視点でいくと、渋沢家がひいきにした「とらや」もまた、論語と算盤の一致を目指す存在といえるかもしれない。「とらや」では、和菓子文化の発展のために、2012年から羊羹をはじめとする和菓子を世界へ広める活動を行っているが、そこで配慮しているのは、「和菓子とはこうでなければならない」という考えを押しつけないことだという。

「それぞれの土地には、それぞれの文化があります。海外に和菓子を広げる際も、それぞれの文化を尊重しつつ、和菓子がさまざまな方に愛されるお菓子となるよう、尽力していきたいと思っています」と黒川さんが話すように、商売だけでなく「相手に対する敬意を忘れないこと」が、彼らが守り続ける“道徳”なのだ。

大正14年正月の店頭の風景。このころ東京店は、元赤坂にあった。同地には、今は「とらや」の東京工場がある

無論、世界に目を向けるだけでなく、和菓子づくりの基盤ともいえる職人の育成や、生産者との協力体制の強化にも力を入れている。「とらやでは、生産者の方々と『ともに歩んでいくこと』を何よりも大切にしており、天候や栽培方法、生産者の方々の働く環境など、さまざまな課題に一緒に取り組み、解決を図っています」。こちらも黒川さんの言葉だ。

和菓子文化の向上・発展に尽力し、生産者にも配慮を尽くす。そのなかで、約500年の歴史を重ねてこられたのは、「とらや」が論語と算盤を両立してきた、何よりの証だろう。

付け加えるなら、栄一が唱えた「論語と算盤」は、ビジネスだけでなく、人の生き方にもあてはまる。自分の利益だけを優先させたりはしていないか。そのために誰かをないがしろにはしていないか。そんな風に自分のあり方を振り返ってみる時間も、人生には必要だ。そんなとき、かたわらに栄一も味わった和菓子があれば、より味わい深い思考ができるかもしれない……。などと考えるのは、少しこじつけが過ぎるだろうか。

【インフォメーション】

とらや 赤坂店

2018年にリニューアルオープンした「とらや 赤坂店」の設計を手がけたのは建築家の内藤廣氏。壁から天井に至るまで吉野ひのきがふんだんに使われており、都会の真ん中にいながら自然を感じることができる。


所在地/東京都港区赤坂4-9-22
TEL/03-3408-2331
営業時間/【物販】月~金9:00~18:00、土日祝9:30~18:00 【虎屋菓寮】月~金11:00~18:00(L.O.17:30)、土日祝11:00~17:30(L.O.17:00)
※新型コロナウイルス感染拡大により、営業時間・定休日が記載と異なる場合がございます。
定休日/毎月6日(12月を除く)
予算/夜の梅小形羊羹1本(50g)292円~、ゴルフ最中 ホールインワン1箱(2個入)454円
アクセス/東京メトロ丸の内線、銀座線 赤坂見附駅から徒歩約7分