12代目市川團十郎お気に入りの「土鍋のシチュー」―俳優たちに愛される老舗の味

2021年12月22日

スケールの大きさ、迫力を感じさせる芸風で人気を博した12代目市川團十郎(1946~2013年)。先代を早くに亡くし、自らも若くして病に襲われながら、並みならぬ芯の強さをもって難局を乗り切ってきた名優だ。

その團十郎はもちろん、多くの俳優に愛される老舗の名店が、東銀座の劇場からほど近い路地にある。今回は、團十郎が贔屓にしていたシチュー専門店「銀之塔」を紹介する。

ビーフシチューにご飯……名家の意外な「我が家の味」

12代目市川團十郎こと堀越夏雄は1946(昭和21)年、9代目市川海老蔵(11代目市川團十郎)の長男として生まれた。7歳で初舞台を踏んだのち、1958(昭和33)年には6代目市川新之助、1969(昭和44)年には10代目市川海老蔵を襲名し、1985(昭和60)年に3カ月にわたる襲名披露公演を経て12代目市川團十郎を襲名。

市川家のお家芸である『歌舞伎十八番』、荒々しく豪快な勇者を表現する演技「荒事」を継承するかたわら、海外公演などにも参加。2004(平成16)年に白血病を発症し、闘病と復帰を繰り返しながら、2013(平成25)年に永眠するまで舞台に立ち続けた。『勧進帳』『助六由縁江戸桜』『義経千本桜』など、その名演は枚挙にいとまがない。

私生活では、29歳のときに結婚。希実子夫人の著書をたどっていくと、團十郎にとって食は、身体が資本である俳優の仕事のためだけでなく、なにより生活の楽しみだったことがうかがい知れる。

うちの家族はみんなおいしいものを食べるのが好きです。そして、好みも同じ。主人、息子、娘の誰もがシンプルがいちばんいいと言っています。特に主人はそうでした。
(堀越希実子『成田屋の食卓 團十郎が食べてきたもの』<世界文化社>より引用)

ビーフシチュー。よく作ります。みんなが好きなメニューの一つです。
(堀越希実子『成田屋の食卓 團十郎が食べてきたもの』<世界文化社>より引用)

團十郎の好物のひとつだったのがビーフシチュー。素材はシンプルゆえにごまかしの利かないメニューだ。家族で食卓を囲むときはもちろん、舞台の後、自宅で夫婦ふたりの夕食をとるときも、ビーフシチューは供されていたという。洋風料理ではあるものの、そこに添えられていたのは、パンではなくご飯だった。

ビーフシチューの時は赤ワイン。ご飯をくずしてソースにからめながら食べるのが好きだった。
(堀越希実子『成田屋の食卓 團十郎が食べてきたもの』<世界文化社>より引用)

そんな團十郎が劇場の楽屋に出前を取り、店にも出向いてよく食べていたという「銀之塔」のシチュー。やはり「ご飯に合う」と評判の一皿だ。

割烹のような店構え、土鍋でいただく絶品シチュー

5代目店主の山内由起子さんによると、シチュー専門店 銀之塔は、1955(昭和30)年に創業。当初から、メニューはシチューとグラタンのみで勝負している。蔵を改造したという建物の入口には筆文字の行灯と暖簾がかかり、洋食屋というより老舗の割烹か、気の利いた蕎麦処といった風情だ。

知らなければ和食の店と見紛うような、独特の味わいのある店構え。路地にひっそりと佇む様子も実に絵になる

1階はテーブル席、2階と3階は座敷席だ。壁にはいつも最新の公演のポスターが貼られている。幕間や終演後に予約を取って訪れる客も多いので、店の営業時間は公演に合わせている。

じっくり煮込まれた肉は箸でほどいて食べるのがちょうどいい。シチューソースは口当たりのやわらかいレンゲでいただく

和風なのは趣深い外観ばかりではない。看板料理のシチューは土鍋になみなみと供される。そして付け合わせは和食の小鉢と漬物、茶碗に盛ったご飯だ。

シチューを土鍋で提供しているのは創業当時から。「出前を取った俳優さんたちの楽屋へ、シチューを温かいまま届けるための工夫なんです」と山内さんは言う。あらためて見れば、あちこちに熱々のシチューを届けてきた土鍋の、年季の入った風合いがまたいい。むろん今でも、銀之塔のシチューは多くの俳優の馴染みの味だ。

銀之塔のビーフシチューは旨みこそ濃いものの、どこかあっさりとして飽きのこない味。これほど和の設えが似合うシチューなだけに、和風の味を想像する客も多いだろう。

「器を見て『お味噌が隠し味ですか?』などと聞かれたりしますが、実は素材や味付けを和風に寄せることはしていないんです。特別なことはしませんが、じっくりと丁寧に灰汁を取り、何日もかけて煮込んでいます」

シンプルな素材を活かすこのこだわりから、箸でもほどけるほどにやわらかな肉と、ご飯や漬物にも合うこの味が生まれてくるのだ。

そこにあるのは、俳優たちのつかの間の安らぎ

團十郎は、家族や仲間と銀之塔を訪れるだけでなく、稽古の合間などに一人でふらっと訪れることがよくあった。「人目につくからと奥の座敷をおすすめしても、『かまわないよ』と他のお客様に交じって入口に近い席に座られる、とても気さくな方でした」と山内さん。

60年以上の歴史を重ねてきた店だけに、銀之塔には俳優一家をはじめとして何代にもわたる常連が多い。12代目團十郎の堀越家も例にもれず、父にあたる11代目から、近く13代目團十郎の襲名を予定している11代目市川海老蔵、その子どもたちまで皆が馴染みなのだという。

老若男女が集う“この味”が、長年にわたって愛され続けているのだ。ちなみに近ごろはテイクアウトのビーフシチュー弁当も手掛け、一食ずつ温めて提供するというひと手間かけた味が、忙しく立ち働く近隣のビジネスマンたちにも好評だ。そして、観劇の折に訪れる人など遠方の馴染み客も多いだけに、シチューソースと具材をチルド便で届けるネット販売も引き合いが多いらしい。

シチューと並ぶ看板料理のグラタン。こんがり焼けたパルメザンチーズと、なめらかで口当たりの良いソースの組み合わせが絶品だ

幼いころから礼儀作法を厳しくしつけられたであろう若い俳優たちも、この店に来れば遠慮なくシチューにご飯をひたしたりして楽しんでいるという。先に紹介した通り、團十郎も好んだという食べ方だ。この気兼ねない雰囲気に、どこか家庭の食卓のような安らぎも感じられる。

團十郎のあらゆる場面を温めてきた「シチュー」

家族や仲間との和気あいあいとしたひとときも、一人で過ごすときも、開演前や幕間の緊張が走るタイミングでも、あらゆる場面で銀之塔のシチューは團十郎のそばにあった。白血病で闘病していた際には、入院先にも銀之塔のシチューの出前を取っていた。そして退院するや「申し訳なかったね」とあいさつに訪れた。

最期の病に倒れ、口から食べられなくなる間際に夫人が持参したのも「牛肉をことこと煮てやわらかくしたもの」、つまり「シチューみたいな料理」だったのだという。さらには、こんなエピソードもあった。

ある日、高麗屋(九代目松本幸四郎)さんがお見舞いを届けてくださいました。赤ワインで煮た牛肉のシチューでした。レストランに頼んで、わざわざ作ってくださったと聞きました。
(堀越希実子『成田屋の食卓 團十郎が食べてきたもの』<世界文化社>より引用)

團十郎がどれほどシチューを愛していたか、近しい人も皆よく知っていたのだ。

夫人お手製のビーフシチューと同じように、何度も味わった銀之塔のシチュー。家族とも訪れた気兼ねなく落ち着ける場所と、飽きのこないその味の中に、團十郎は「我が家の味」にも近い安らぎを見出していたのかもしれない。

自分にとって「團十郎のシチュー」のような味は何だろうか……滋味あふれる一皿を味わいつつ、そんなことを考えてみるのもいい。

【インフォメーション】

シチュー専門店 銀之塔

1955(昭和30)年の創業以来、ビーフ、タン、野菜のシチューとグラタンのみを提供し続けてきたこだわりの専門店。劇場が近く、多くの俳優や劇場を訪れるファンに愛され続けている。シチューソースと具材のセットを配送するネット販売や、テイクアウトのビーフシチュー弁当も好評。


所在地/東京都中央区銀座4-13-6
TEL/03-3541-6395
営業時間/11:30~21:00(L.O. 20:30)
※新型コロナウイルス感染拡大により、営業時間・定休日が記載と異なる場合がございます。
定休日/年末年始
予算/シチュー(小鉢2品、お漬物、ご飯付き)2,750円、グラタン(小鉢2品、お漬物、ご飯付き)2,030円、ミニセット(シチュー&グラタン、小鉢2品、お漬物、ご飯付き)3,970円
アクセス/東京メトロ日比谷線・都営浅草線 東銀座駅 3番出口・5番出口より徒歩1分