炎の芸術家・岡本太郎も舌鼓を打った「タロタロユッケ」と「桜なべ」
2022年11月22日
アバンギャルドの旗手として、戦後の日本芸術界に新風を吹き込んだ炎の天才アーティスト・岡本太郎。1970(昭和45)年の大阪万博(日本万国博覧会)ではテーマ展示プロデューサーに就任し、岡本が制作した「太陽の塔」は万博のシンボル的存在となった。
青少年時代を美食の都パリで過ごした岡本がたびたび訪れたのが、「桜肉」とも呼ばれる馬肉の専門料理店「桜なべ中江」だ。昔から「中江」には各界の著名人が足繁く通ってきた。武者小路実篤、獅子文六、吉村昭、團伊玖磨、11代目・市川團十郎、横綱・千代の富士に北勝海など、そうそうたる顔ぶれが「中江」の桜肉に舌鼓を打ったそうだ。今回は、岡本太郎も熱烈なファンの一人であった、東京都・台東区の老舗「桜なべ中江」を紹介する。
岡本の創作意欲を支えた「中江」の桜肉
岡本太郎は1911(明治44)年、当時の人気漫画家・岡本一平と自由奔放に生きた歌人・小説家の岡本かの子の長男として、神奈川県橘樹郡高津村(現・川崎市高津区二子)に生まれた。18歳の頃、父母の渡欧に同行した岡本はパリで独り暮らしを始める。以来、芸術家たちと交流しながら創作活動を続ける一方で、パリ大学で哲学・美学・民族学を学び、29歳で帰国した。
「芸術は特権階級のものではなく民衆のものである」と信じた岡本の前衛的な創作活動は、次第に人々の耳目を集めるようになる。日本の根源的な美を探し求め、各地を尋ね歩いて執筆した著作も数多い。「芸術は爆発だ!」「なんだ、これは」などの名言は後世まで語り継がれている。1996年(平成8)年1月に84歳で没する直前まで、岡本太郎の旺盛な創作意欲は衰えをみせなかったという。
岡本が愛した「中江」は、東京メトロ日比谷線・三ノ輪駅から土手通りをしばらく歩いた左手の古色をおびた木造2階建て。浅草からも車で5分ほどの距離で、遠方には高さ日本一を誇るテレビ塔がそびえ立つ。かつて「江戸の華」と呼ばれた吉原にほど近いこの古風な店舗で、1905(明治38)年創業の「中江」は今も伝統の桜肉を供し続けている。
太郎ゆかりの名物メニュー「タロタロユッケ」
「美食家の岡本さんが美味しい店を探していて、当時岡本さんの事務所に勤めていた私共の親戚が紹介したことがきっかけで、来店されるようになりました。子どもだった私は、岡本さんが色々なカツラを被っていらっしゃって、衝撃的だったのを覚えています」と語るのは、4代目の中江白志(なかえ しろし)さん。
「中江」の人気メニューのひとつである「タロタロユッケ」は、岡本太郎と深いゆかりのある一品だ。
パリで暮らしていた頃の岡本青年は、牛肉の代わりに馬肉を使ったタルタルステーキを好んで自ら作り食べていた。細かくたたいた生肉に玉ねぎのみじん切り、ニンニク、芥子(ケシ)、コショウなどを入れ、練って団子のように丸くする。そこへ卵の黄身をのせ、よくかき混ぜて食べるのだ。
さらに4代目も、「パリのレストランで頼んだタルタルステーキが馬肉で作られていた」という岡本のパリ時代のエピソードを先代から聞いていたそうだ。馬肉のタルタルステーキは、自宅でもレストランでも好んで食べていた岡本お気に入りのメニューだったのだろう。
ある日、来店した岡本は「君のところは桜肉専門なのだから、馬肉のタルタルステーキをぜひ試してみなさい」と3代目店主に持ちかけたという。試行錯誤の末に出された「桜肉のタルタルステーキ ユッケ風味」は岡本の期待に見事に応え、「中江」の正式メニューに加わり、岡本も来店するたびに注文していた。のちに4代目が岡本の名前にちなんで改称した「タロタロユッケ」は、今や店の名物だ。
「タロタロユッケには、純国産馬のもも肉の中でもやわらかい部位を使用しています。脂がないので低カロリーですし、鉄分も豊富です。醤油と砂糖をベースにニンニク、パプリカなどを加え、最後はごま油で仕上げます」
確かに、タロタロユッケはかみ砕く必要がないほどやわらかく、甘辛い秘伝のタレとごま油の風味が絶妙な、酒が進む味わい。岡本は来店時、いつも赤ワインと一緒に楽しんでいたという。当時、店にワインを常備しておらず、岡本が来店すると近所の酒屋さんまでいちばん上等なワインを買いに走ったというエピソードも。美食・美酒の都パリに長年暮らした岡本が、フランスワインを楽しみながら和製タルタルステーキを堪能する姿が目に浮かぶようだ。
生もので始めて、「桜なべ」で締める定番コース
「生もののタロタロユッケや馬刺しで始めて、桜なべで締める」のが、岡本太郎の定番コースだった。アトリエでは戦闘的な気分で絵を描いた岡本は、立ちっぱなしでキャンバスに向かうのを常としていた。創作に全身全霊で打ち込み空っぽになった岡本の心と体には、昔から滋養強壮によいといわれる桜肉の美味が染みわたったことだろう。
4代目が桜なべの実演を披露してくれた。南部鉄器の浅い小鍋には、脂身の周りをぐるりと囲むように桜肉が並べられ、割り下が注がれている。味付けに使うのは千葉で江戸時代から続く老舗蔵元の生醤油だ。脂身の下には、中江の創業者が考案したという一子相伝の味噌ダレが隠し味として入っている。強火にかけ、ふつふつと煮えてきたら味噌ダレを溶き、火が通り過ぎないよう素早く肉を返していく。肉は少し赤みが残るくらいの半生状態、脂身はじっくり煮込むと美味しいそうだ。
「肉は桜色、脂はあめ色がポイントです。桜肉のコラーゲンたっぷりの脂身は、女性にこそ召し上がっていただきたい食材ですね。お肌に塗るとよいとされる馬油を体内に取り込むわけですから、全身に馬油の成分がゆきわたるようですよ」
低カロリー・高タンパク・低脂肪に加え、鉄分・コラーゲンが豊富な桜肉は、免疫力を高めるともいわれており、女性はもちろん、病み上がりや体力を奪われたときにもオススメということだ。
北海道生まれ・九州育ちの純国産馬
「中江」の桜肉の旨みの秘訣は、純国産馬にある。北海道産の馬を福岡・久留米にある契約牧場で中江専用に飼育する方法を3代目が確立した。穀物中心の飼料で7、8歳まで育て、脂をたっぷり蓄えた肥馬に仕上げ、肉は冷凍せずチルドで直送される。
「馬刺し用の肉は桜色の鮮やかさが重視されますので、通常1、2歳の若い馬の肉が使われます。ただ、若い肉にはまだしっかりと味がのっていません。鍋に入れ旨みが出ていってしまうと、この肉は出がらしの味になってしまうのです。ですから、中江で出すものは7、8歳まで育て、成熟した肉に仕上げます。そうすると旨みが出ても肉の味がしっかり残ります」
「中江」では、この成熟した肉をあえて馬刺しにも使う。新鮮な馬刺しは、甘ダレ醤油やおろしニンニクで臭みを消す必要がなく、ショウガ醤油で肉本来の味を楽しめるのが売りだ。
馬刺しメニューは、ロース、バラ、ヒレ、霜降り、巻きロースと、5つの部位が揃うが、中でも中江名物となっているのが巻きロースだ。巻きロースは、尻近くの背ロースの部位に巻きつくようにくっついている稀少な部位。岡本もこの部位をいちばん好んだという。
「巻きロース馬刺し」を口に入れた途端、とろけるような食感とともに、肉の旨みと甘みが広がる。臭みもなく、「えっ、これが馬肉なの?」と思わず首をかしげたくなる。「馬肉の概念が変わった」というお客さんも多いというのも納得だ。
歴史を刻んだ店舗で受け継がれる、吉原が生んだ食文化
東京の桜肉は、江戸文化の最先端が集まる場でもあった吉原を代表する食文化だと4代目は語る。
「吉原へ遊びにきたものの懐具合の悪い客が、乗ってきた馬を借金のかたに差し出し、この馬を調理したのが始まりだといわれています」。高タンパクの桜肉はパワーが出ると愛され、最盛期には20~30軒もの桜肉料理店が軒を連ねていた。
後発組だった「中江」は1923(大正12) 年の関東大震災で焼失したが、その翌年、宮大工の手により再建。1945(昭和20)年3月の東京大空襲では奇跡的に焼失を免れ、2010年に国の登録有形文化財に指定されている。
店内は、再建当時の面影を色濃く残す。宮大工の匠の技は、100年近い歳月が流れても色あせない。2階座敷席の欄間は、松竹梅に加え、桜肉にちなんだ桜があしらわれた見事な造りだ。馬にちなんだ画家や文化人の作品なども飾られており、馬へのこだわりが各所にちりばめられている。
コロナ禍での経営は、決して安泰ではない。だが、「江戸の華といわれた街・吉原の文化の灯を消さないためにも、美味しい桜肉を食文化のひとつとして末永く残していきたい」と、大学の研究機関と馬の飼料改良を手掛けるなど、4代目の新たな挑戦は続く。美食家だった岡本太郎も、自身が愛した旨い桜肉の存続を願っているにちがいない……。
【インフォメーション】
桜なべ中江
1905(明治38)年創業。吉原を発祥とする伝統の桜肉料理を味わえる。「巻きロース馬刺し」「ヒレ桜なべ」「タロタロユッケ」「すじ煮込み」が四大人気メニュー。関東大震災の翌年に建てられた木造建築は、国の登録有形文化財に指定されている。
所在地/東京都台東区日本堤1-9-2
TEL/03-3872-5398
営業時間/平日17:00 ~ 22:00(L.O.21:30)、土日祝11:30 ~ 21:00(L.O.20:30)
定休日/月曜日(月曜が祝日の場合、火曜)
※新型コロナ感染拡大により、営業時間・定休日が記載と異なる場合がございます。
予算/桜なべ(極上ヒレ)3,980円、タロタロユッケ3,480円、巻きロース馬刺し6,980円、すじ煮込み600円
アクセス/東京メトロ日比谷線・三ノ輪駅より徒歩9分