飲み終えて残る美しい思い出――
ワインを極めた男が語る、趣味としてのワインの魅力

2019年8月28日

ワインに魅せられ、自宅のセラーに所有するコレクションの本数は約800本――。神奈川県横浜市に住む長澤潔(ながさわ きよし)さんは、会社勤めをするかたわら、ワイン専門誌で連載コラムの執筆も手掛けてきた生粋のワイン愛好家だ。

「ワインが消えた後にも残る思い出にこそ、ワインの楽しみの本質がある」。そう語る長澤さんは、珠玉のワインをみんなで楽しむためのワイン会を開催するなど、退職後もワインを通じて充実した生活を送っている。そんな長澤さんに、“ワインの魅力”や“ワインを通して得られるもの”について話を聞いた。

“とあるワイン”との出会いをきっかけに、奥深き世界へ

約800本もの膨大なワインのコレクションを所有されていると伺っています。まずは、長澤さんがワインに興味をもつようになった経緯をお聞かせください。

実は、ピーク時には1,500本以上を所有していたんです(笑)。そこから、「自分の人生の中で消費しきろう」と思い、計画通りに飲み続けた結果、現在の本数に至りました。

ワインを本格的に飲み始めたのは1986年、入社6年目のときでした。その年に東京本社に転勤になったのですが、転勤を機に残業が減ったことや、会社の周辺に飲食店が豊富だったことで、フランス料理を中心に食べ歩きをするようになったんです。当時は、「店でワインリストを渡されたときに、臆することなくそこから選べるようにならないといけない!」と思っていて……。

「最初は見栄からはじまった」と、少し恥ずかしそうに笑う長澤さん

いま考えると、単なる見栄ですよね。でも、そのときはそう信じていたので、ガイドブックに載っているフランスのワインを丸暗記することにしたんです。「仔羊にはポイヤックかサン・ジュリアン、野鳥類にはジュヴレ・シャンベルタンかサン・テミリオン、オマールで濃厚なソースを添えたものにはムルソーなど上質のブルゴーニュの白かグラーヴの白……」といった具合。そうやって、レストランでワインリストから適切なワインを選ぶと、ソムリエさんに驚かれたりしたものです。ただの丸暗記なのに(笑)。

フランス料理のお供としてワインを飲み始められたわけですが、その後、より深くワインにのめり込まれていくことになった理由は何だったのでしょうか?

とあるお店のパーティーで、「すごくおいしい!」と思えるワインと出会ったんです。今でも銘柄を覚えていますが、ドメーヌ・ルフレーヴの白と、シャトー・フィジャックの赤でした。どちらも、ボトルで頼むと1本でお料理のコース料金を上回るような値段のワインです。そのときに「値段が高いワインは、やっぱりおいしいんだな」と痛感しました。それで自分でも、いろいろなワインを買ってみようと思ったんです。

極上のワインと出会ったことで、ワインコレクターとしての長澤さんが誕生したわけですね。

さらにいうと、ワインへの思いが決定的になったのは1990年でした。この年はヨーロッパ全土で素晴らしいワインが生産されていて、「この年は自分の人生で最良のヴィンテージ(生産年)になるのではないか?」という予感がしたんです。その頃には、「いいワインは後から買おうとしても、値段が高騰してしまう」ということを学んでいたし、熟成ワインのおいしさも体験していたので、「たくさん買って自分で熟成させよう」と決意して、部屋を仕切ってセラーを作ったんです。

ブルゴーニュを中心にたくさんのワインを買ったのですが、予想通りそれが大当たり。その後、良い生産者のものは平均で10倍程度、中には100倍以上も値上がりしたものもありました。

100倍以上も値上がりするというのは驚きです!

当時買ったワインが今でも残っているので、自分で25年以上も熟成させたことになります。業者ではない一個人がこれだけ手元で熟成させた例は、日本でも稀だと思いますよ。

ワインならではの魅力というのは、どこにあるのでしょうか?

毎回こまめにつけているという、これまで飲んだワインの記録

3つあります。1つめは「ヴィンテージ(生産年)を持ち、熟成するお酒である」ということ。一部、ブレンドされていてそれがないものもありますが、基本的には年ごとに味わいが異なります。また、生酒なので熟成することで味が変化していきます。ウイスキーと違って、ボトルの中でも熟成していくのがワインの面白さでもあります。

2つめは「香りが豊富である」ということ。ほかのお酒にも香りはありますが、ワインは香りの種類が豊富です。例えば1つめの熟成による変化というところでも、熟成やワインの性格に応じて、カカオやローストしたヘーゼルナッツ、なめし皮、葉巻の香り、トリュフの香りといった、えも言われぬ香りが開いていき、香りだけで陶酔できることもあるんですよ。

そして最後が「芸術になりつつあるお酒である」ということですね。最近、ほとんどの工程を1人で行う、小さな規模の生産者が増えています。そういうワインを飲むと、その人の個性やワインに対する思いが伝わってくるんです。生産者の個性や思い、感情が媒体を通して伝わってくる。私たちはそれを「芸術」と呼んだりします。ワインは単なる飲料の域を超えて、その領域に達しつつあると感じています。

買った後に熟成することで、自分の手元で魅力が増していくというのは、所有する喜びを高めてくれますね。

同じワインでも、今日飲むのと、何年後かに飲むのとでは印象が違ってきますからね。そういう意味では一期一会の楽しみがあります。

ワインの奥深さを思い知らされます。長澤さんが過去にワイン雑誌で執筆されていたコラムやSNSでの投稿を拝見すると、そんなワインの魅力を紐解いていくことを大いに楽しまれているのだなと感じました。

独特の言い回しもワインならではの魅力だ

もともと文章を書くのが好きだったこともあり、ワインの表現の仕方については努力して覚えました。果物の香りで表現するときに「イチゴ」ひとつとっても、いわゆる普通のイチゴから野イチゴ、木イチゴなどバリエーションがあります。他にもスイートバジルやフェンネルといったハーブの香り、生肉やなめし皮といった動物の香りなど多彩な表現が用いられます。これらを、ひとつひとつノートに書き留めながら覚えていきました。

「みんなで楽しい思い出を作る」ために、ワイン会を主催

数々の貴重なワインをお持ちですが、それを一人占めすることなく、みんなで飲むためのワイン会を主催されています。今日も「クレオパトラは甦る」という洒落たタイトルのワイン会があるそうですが、どの様なワインと料理が用意されているのか、興味がわきます。

取材後に控えたワイン会用に用意されたワイン

料理は「舌平目のクレオパトラ風」という、古典的なフランス料理を用意していただきました。主役となるワインは、ボーヌ クロ・デ・ムーシュという畑の1949年産と1985年産の白です。よく“蜂蜜の香り”がすると言われるワインなのですが、「ひょっとしたら」と思ってクレオパトラについて調べてみたところ、彼女は蜂蜜を美容のために化粧品として使っていたという逸話を見つけたんですよ。そこでお料理とワインがつながって、「クレオパトラは蘇る」というタイトルを付けました。後付けではあるんですが、「ばっちりハマった!」という感じです(笑)。

そうやって、ワイン会のテーマを考えるのも楽しそうですね。ところで、ワイン会を始めようと思ったきっかけは何だったのでしょう?

ワイン会の会場となるレストラン 港区白金「Ordi-verre オルディヴェール」

ワイン会は1992年から、月に1回くらいのペースで開催し続けています。昔は毎回郵便で参加者を募集していたのですが、最近はもっぱらSNSで人を集めています。集めたワインを1人で全部飲むことが物理的に不可能だからとか、購入代金の回収に充てるためといった側面もありますが、ワイン会を開く一番の理由は「人と楽しくワインを飲みたいから」ですね。

長澤さんにとってのワインは、所有欲を満たすだけのものではないというわけですね。

収集する醍醐味や所有することの楽しみももちろんありますが、「ワインは飲んでみてこそ」だと思います。物理的にコルクが駄目になっていきますので、いずれは飲まないといけない。だったら、みんなで飲んで思い出を作るほうが楽しいじゃないですか。私にとっては、それもワインを集める楽しみの1つなんです。

「飲んで思い出を作る」というのは、素敵な考え方です。

ワインの記憶に紐付いて、一緒に飲んだ人たちのことや、交わした会話が「残って」いく。それがいいんです。マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』に、次のような有名な挿話があります。幼少期、紅茶にひたしたマドレーヌが好きだった主人公が、大人になって同じものを口にしたとき、その香りを糸口にして過去のさまざまな記憶が鮮明に蘇ってくる――。ワインの香りも同じで、香りを通じてそのときの風景や会話が蘇ってくるんです。

生きがいを感じる趣味を持つことの大切さ

ワインを通して培ってきた思い出や友人たちとの絆こそ、何よりの財産なのだと感じます。それまでワインに縁がなかった人が、退職を機にワインを趣味にして楽しむというのもいいかもしれませんね。

興味があれば、そしてお酒が嫌いでなければ(笑)。ワインスクールに通ったりすると、“若い人と付き合う”という楽しみも増えると思います。また、趣味の領域を国産ワインに絞った場合だと、生産地を旅して、生産者のお話を聞きながらワインを楽しむという余暇の過ごし方もできます。

趣味という話からは少し逸れますが、ワインは「資産」としてとらえることも可能です。ヨーロッパでは、セラーがあって親から子供へと代々ワインが受け継がれていく文化もあります。日本でもそういったケースが少しずつ増えてきているようです。お子さんがいらっしゃる方などは、そういう意味でも新しい趣味として始めてみる価値があるのではないでしょうか。

ちなみに、長澤さんは年間にどの位の資金をワインの購入に充てられていたのでしょうか?

かつては年間300万円程度を予算に、300本のワインを購入していました。親からマンションを相続していたため、住宅ローンを払うかわりにワインを購入することができたんです。過去に集めた分も含めて毎年200本ずつ飲んでいくので、1年間で100本ずつコレクションが増えていくという感じでしたね。

思い通りに趣味を楽しむには、計画的な貯金や資産形成も必要というわけですね。

ワインの場合だと、集めたワインでワイン会を行うなどして、費用を回収できるので助かってはいます(苦笑)。

ご自身として、これからワインを通じてチャレンジしていきたいことや目標はありますか?

ワインの旅はまだまだ続く

この10~15年で新しい小規模な生産者が多数生まれたり、オレンジワインのように新しい醸造方法が生まれたり、さらには素晴らしい日本ワインが多数登場したりと、新しい流れが生まれています。だから、「そうした流れにもついていかねば!」と思っていますね。一方では貯まっているワインコレクションをきれいに飲み切ることも目標です(笑)。

会社を退職されてからも、退屈や寂しさとは無縁の充実した生活を送られているように感じます。そんな長澤さんから、同世代の方たちに向けて伝えたいことがあれば、お聞かせください。

「生きがいが持てる」という点で、何かしらの趣味を持つのはいいことだと思います。ただし、お金がかかる趣味は貯蓄がないと大変ではあります。私は「いけいけどんどん」で後先考えずにワインを集めたのですが、これをやると経済的に大変なことになりますから(笑)。と言っても、ほどほどの入れ込み方では面白くないことも確か。いいバランスで楽しんでください。

【夢の値段】

  • 約800本のワインコレクション:約800万円

合計:約800万円

購入当時の平均購入額の合計額

現在、所有している約800本のワインの平均的な購入単価は1万円前後だったという。ただし、それはあくまで購入したときの値段。インタビューにもあったように、いいワインは熟成につれ値段が上がっていくのが常で、いま同じ生産年のものを購入しようとするとその値段は3~5倍になるのだそうだ。将来的な価値の上昇を見越して、いまから“大人の趣味”としてのワインを始めてみるのもよいかもしれない。
しかし、大人の趣味には予算が不可欠。趣味と長く付き合うためにも、これを機に資産運用の見直しをしてみてはいかがだろうか?


プロフィール

長澤 潔(ながさわ きよし)

1955年生まれ。兵庫県宝塚市出身。会社員時代、東京勤務となった1986年からワインのコレクションを開始する。2019年3月に定年退職を迎え、現在に至る。1992年から始めたワイン会を現在でも定期的に開催中。